足の速いウサギと、足の遅いカメが競走をし、最終的にはカメが勝利する
「ウサギとカメ(兎と亀)」の物語がある。
ウィキペディアによれば
「イソップ寓話やラ・フォンテーヌが書いた寓話詩にも所収されている。 同じ素材の話がジョーエル・チャンドラー・ハリスの「リーマスじいやの話」にもあるが、内容は大きく異なる。日本には西欧との貿易が盛んになった室町時代後期以降に流入したとみられ、イソップ寓話を翻訳した伊曽保物語などによって近世以降に知られ始めた。一般に知られるようになったのは、明治になって教科書に採録されてからである。明治時代の初等科の国語の教科書には「油断大敵」というタイトルで掲載されていた。」
とにかく
「油断大敵」という寓話で有名となった「ウサギとカメ」だが、俊足の象徴としてのウサギと、鈍足としての象徴のカメに、誰も違和感を抱いていなかった。しかし、俊足はオオカミでもシカでも良かったのではなかろうか。「ウサギとカメ」はイソップ寓話にも載っているものの、その話の原型がどこまで遡れるかわからないのではなかろうか。
実は「ウサギとカメ」の組み合わせで、気になるものがある。それは、亀占だ。亀占の歴史は紀元前の最古の王朝と云われる殷代後期が際立った時代だと云われる。その殷代では、亀占によって天道を占っていたというが、その時代の概念に
「月に莵在り、日に亀在り」と信じられていた。毎日昇っては沈む月と太陽は、時間の運行に関与していた。その月と太陽を間接的に表現した生物が、兎であり、亀であった。それ故に、時間を示す
「"時(とき)"」とは、
「兎亀(とき)」から始まった言葉でもある。
そこでもう一度イソップ寓話の「ウサギとカメ」を思い起こして見る。ウサギとカメの到達点は同じなのだが、辿り着くまでの速度が違う。しかし、太陽は安定した速度と形で進むのだが、月は不安定な形に変化して、一旦消えてしまう(新月)存在でもある。その月の不安定さは、まさしく寓話のウサギの行動にも重なる。また時計の長針は、短針よりも見た目が派手に速く動いている様だが、到達する時間は同じとなる。つまり長針はウサギと同じ様に、いくら速く動いても、短針でありカメに勝てない存在でもある。この月日の兎亀の関係と、時計の長針と短針の関係が、何故か寓話「ウサギとカメ」に重ねてしまうのは、自分だけだろうか?