遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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河童と瀬織津比咩(其の十二)

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福岡の水天宮における平家の関わりと信仰を書いてきて、河童から少々脱線したきらいもあるが、ここで少し戻そうと思う。画像は"礫石経(れきせききょう)"と呼ばれるもので、平清盛が始めたようである。平清盛は人柱をやめる代わりに、この礫石経を海や淵に沈める事にした進歩的な人物だった。つまりこれは、水神の怒りを鎮める為のものである。その水神の使いとして河童がいるという認識だが、九州では河童の祟り除けに、この礫石経365個を川に沈める事により1年間、河童の祟りを抑える事が出来ると信じられる風習がある。

人柱は無かったとの見解を述べる学者もいるが、遠野では例えばメガネ橋の下から、お歯黒をした女性の頭蓋骨が発見されたり、松崎には人柱で死んだ巫女の墓などがある。また陸前高田には、菖蒲姫と呼ばれた遠野の上郷村から来た女性を人柱にしたという伝承が残っている。そして事実として平清盛がこの礫石経を人柱の代わりにしたという事であるなら、やはり人柱はあったとみるべきではないか。

「耳なし芳一」という小泉八雲の有名な怪談話があるが、平家の亡者から身を守る為、全身に経文を書いたつもりが、耳だけ書き残した為に、平家の亡者に耳を持って行かれる怪談話だ。これを九州の礫石経の河童除けの風習に照らし合わせれば、礫石経を365日に満たない数を川に沈めれば、その足りない日数分だけ、河童の祟りに遭うという事になる。「耳なし芳一」に登場する平家の亡者は、壇ノ浦の戦いに水没した亡者であるようだ。つまり水界から現れた、水の亡者という事であろう。その水の亡者の王は安徳天皇となるのだが、それはつまり水天宮に祀られる神でもある。小泉八雲が「耳なし芳一」の典拠としたのは、一夕散人「臥遊奇談」第二巻「琵琶秘曲泣幽霊」(1782年)であると指摘されているが、全てひっくるめて、平家の信仰を秘めた水天宮から想起されたものではなかったか。

実は、この発想は漫画である星野之宣「宗像教授伝奇考」に影響されている。学者では無い漫画家である星野氏は、漫画家であるがゆえ学者が書けない自由な発想から漫画を描いているのだと。しかしその発想には、かなりハッとさせられている。独自に、遠野の河童を調べ、遠野の北に聳える早池峯信仰と祭神の結び付きには、どこか九州の息吹を感じさせるものがある。それを感じた時に、たまたま星野氏の漫画に接し、もしかしてという気持ちが湧き上がったのを覚えている。
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「川には河童多く住めり。猿ヶ石川殊に多し。」という「遠野物語55」の冒頭だが、何故遠野の河童は、猿ヶ石川に多いのだろうか?を純粋に考えた場合、どうしても九州に行き着いてしまう。ところで猿ヶ石川の語源に、猿と石を間違い「猿か?石か?」として、猿ヶ石川と名付けられたという、とってつけたような語源伝説がある。

「遠野物語」において猿の話は、四話しかない。そのうちの三話は、猿の経立という化物猿に関するもので、六角牛の山が舞台となるのが二話。もう一話は、猿の経立の名前に触れている程度である。そしてもう一話は「遠野物語48」で、仙人峠の猿ヶ石川の話が書かれている。「遠野物語47」では「六角牛の猿の経立が来るぞ」という内容から、猿の経立の棲家は六角牛だという事で理解できる。猿がいるという六角牛と仙人峠は、遠野盆地の東側の山に面している。「猿か?石か?」の語源説は、猿ヶ石川の源流に伝わる話だが「遠野物語」では、まったく触れてはいない。その前に、猿そのものの話が遠野には少ないのがわかる。せいぜい、淵の傍に棲んでいる猿を淵猿と言って、河童の正体の一つとされる伝承が唯一、遠野の里に出没する猿の話となる。実際、今の遠野で猿を見るならば、やはり仙人峠か、六角牛山の脇を通る笛吹峠か、それを過ぎた場所にある橋野町で猿を見かける事が出来る。つまり、昔も今も猿を目撃できる場所は変って無いという事。たまに遠野の街に"はぐれ猿"が目撃される事があるが、それも一時だけである。

大正時代の記録に「遠野の獣と鳥」と題されたものが記されているのが、【鳥類】には当然、猿の名は無い。では【獣類】はどうかというと、下記の通りに猿が記されていない。

【獣類】

「きつね、ねこ、ねつみ、いたち、からたち、犬、むくいぬ、ちんけん、
おふくかめ、むささび、うさき(鎌せをい、白兎共)、くさい、こはみ、
山ねつみ、まみ、てん、しいね、とりう、きねつみ、くま、馬、牛、
鹿(あをしし、かのしし、うしゐ)、かはもり」


だが大正時代に認識されていなくとも、吉田政吉「新・遠野物語」には、猿の話が記されていた。猿の悪戯はそれなりにあったようで、鉄砲を駆使して猿を撃とうとしても事前に察知され、なかなか撃てなかったらしい。猿の被害はそこそこあったようだが、吉田氏によれば、狼に比べれば大した事は無かったそうな。だからなのか、遠野での猿の話が少ないのは。ただ、遠野の里に下りて来て悪戯を成した猿も、大正時代には見られなかったという事になる。明治の半ばで姿を消した獣は、狼が狂犬病の蔓延と、多額の懸賞金がかけられた事による率先した駆除によって滅び、猪は豚コレラの蔓延によって、やはり滅びた。しかし猿が、遠野の里から消えた理由がわからない。まるで河童の目撃数と比例するかのように、猿が里から姿を消したようにも思える。
by dostoev | 2016-12-20 06:26 | 河童と瀬織津比咩 | Comments(5)
Commented by 鬼喜來のさっと at 2016-12-20 15:51 x
猿に関して、岩手県内にみられる厩猿として厩に祀られる猿の頭骨はDNA検査をしたところ、山形村に残された四体のうちの一体から五葉山に生息する猿であることが分かったそうですが、これに関して五葉山の猿は下北などの東北一円の猿とは異なる遺伝子を持った独立したグループであることが解っているんですね。五葉山にも『遠野物語』と同様の猿の経立の伝説が残っており、距離から考えても六角牛の猿も同じ五葉山系統に属するものと考えられるんですが、五葉山山頂に日枝神社を祀ることからも五葉山の日本猿は特別視されていた証左でもあるんでしょうね。たまにはぐれ猿が住宅地に現れ、防災無線をにぎわせることがありますが、亡き明治生まれの祖父が、首崎で猿の群れを見ているそうですから、大正当時、遠野界隈で猿を見ることがなかったとはおかしな話で、山言葉で去るを忌んでエテ公などと呼び変えるように名前が変わっているんですかね。塩水で芋などに味をつける習性から、「文化猿」の名で世に知られる宮崎県の幸島の猿は、伝承によれば平家の落人が神使として島に持ち込んだものと謂われ、「和子(わこ)さま」と呼ばれるんだそうですが、この幸島は平安京の南西裏鬼門に位置しており、五葉山の猿と遺伝子の型が一致するんじゃないかと思っているんですが。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2016-12-20 16:51 x
猿が石川の由来、内容忘れたので確認しましたが、陸中山田出身の左内という男が都に雑役に出ている際に清滝という女と知り合う話なんですね。陸中山田と都いう時点で、方位的にも寅と申が対になった話とみましたが、清滝は青龍で木気、金気の猿に見える石を墓印として置いたということは、五行説の木剋金の理が見て取れますね。また、猿は三合会局では水気の始まりですから、この傍らから水が流れ出、猿が石川になるというのも納得できますね。また清瀧権現は、弘法大師が招来した雨乞いの神である善女竜王のことですから、左内の詠んだ恋歌「雨ふらて うゑしさなひも かれはてん 清滝落ちて 山田うるほせ」から「うゑしさなひ」は「植えし早苗」で左内と早苗をかけているのでしょうが、或は青龍を土を剋する木気、即ち津波を引き起こす地震蟲(鯰)と同体とし、猿が石は要石としての役割を担っているとも解釈できますね。
Commented by dostoev at 2016-12-20 18:12
遠野の東の山に面する猿が、五葉山系に属するのは納得します。ただ日枝神社を祀るから、特別視されていたという意味がわかりません。猿(サル)は「獲物が去る」に通じるので、猿の代わりに「山猫を獲った!」などという「サル」言葉の禁忌は、日光マタギ衆の影響からだとされています。日本海側とは、微妙にマタギの風習・禁忌は違ったようです。山田の左内、清瀧姫の話は、群馬の桐生では白滝姫の話として、遠野に伝わったものだと思っていましたが、西日本にもいくつかの似た様な白滝姫伝説が伝わっていますので、遠野と陸中山田を固定して考えるのは、やめた方が良いですよ。
Commented by 鬼喜來のさっと at 2016-12-22 12:11 x
白滝姫伝説調べましたが、群馬県桐生市川内町の白滝神社に伝わるものと、兵庫県神戸市北区山田町の白滝神社に伝わるものなどが知られるようですね。いずれも山田の地名に関するもので、何か共通点があるんだと思いますが、ここはいったん保留しておいて、まずは西日本と東日本の白滝神社を直線でつなぐと、京都が浮かび上がり、丁度申と寅の方位で対になっているようです。また桐生、旧山田郡の白滝神社の奥にある正三位赤城神社というところを結ぶとその先には徳川家康の霊廟日光東照宮があり、その先に陸中山田があるようです。これは丑と未の方角に位置し、対角に憑き物落としで有名な秩父三峯神社と甲府、更にその先に静岡県の浜松市が位置するようですね。桐生の白滝姫は養蚕と機織りの技術を招来したとされますが、もう一つ、饂飩も伝えたとされるのは七夕津女の信仰に関わるものである証左でもありますが、饂飩も亦、鎌倉時代に禅宗と共に宋から日本に伝えられたものであり、面白いことに上州の饂飩文化には茹でた饂飩を小豆で和える「ねじ」或は「小豆ほうとう」とよばれる岩手県の郷土食である「あずきばっと」に好く似たものが食べられており、桐生にもこれも「ひもかわ」と呼ばれる「はっと」に似たものが食べられています。岩手県の「はっと文化」は三戸南部氏が奥州に入植する際、故郷の甲州から持ち込んだものとも言われていますから、猿ヶ石川の話もやはり下野武士団の阿曾沼氏と共に流入した可能性が高いのかもしれません。 東禅寺の名が出て来るのはおそらくそのためでしょうね。
Commented by dostoev at 2016-12-24 17:27
東日本と西日本の白滝神社を線で繋ぐなどという壮大な事を、誰が出来ましょうか。伝播系で考えた方が無難だと思われます。
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