
風琳堂氏が北海道の滝廼神社で撮影した、恐らく唯一存在する瀬織津姫の神像ではないかとの事。前回
「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は、剣に斎く神」と書いたのは、剣は荒魂の証でもあるからだ。右手に剣を持つのは、相手を薙ぎ払うなどの武力としてのものであるが、穢れを祓う霊威をも意味する。この前は、天叢雲剣を祀る熱田神宮に関して簡単に書いたが、
「円空と瀬織津姫(下)」に展開される熱田神宮祭祀は、まさに天照大神荒魂についてであった。実際に、熱田神宮の禁足地である本殿西北背後に鎮座する一之御前神社に天照大神荒魂は祀られているのだが、「「円空と瀬織津姫(下)」では熱田大神そのものが天照大神荒魂であり、天叢雲剣に斎く神であったと展開している。
八岐大蛇の尻尾から取り出された天叢雲剣、別名草薙剣を
「日本書紀」では
「大蛇のいる上に常に雲があったのでかく名づけた。」と説明している。その天叢雲剣は、朱鳥元年(686年)に天武天皇を祟ったとしている。これはつまり、天叢雲剣に斎く神の祟りとなるのだが、同じように天皇を祟った神がいる。それは崇神天皇を祟った、天照大神荒魂である。
長元四年(1031年)、
「大神宮諸雑事記」によれば、外宮の月次祭の時、急に大雨となり雷光が走り天地が振動したかと思うと斎宮が叫び声をあげて
「我は皇大神宮の第一の別宮、荒祭宮也。」として託宣を述べ始めたと云う。その託宣の内容は
「最近の天皇には敬神の念が無く、次々に出る天皇もまた神事を勤めない。」などと批判している。実際は斎宮が天照大神荒魂を名乗っての仕組みであろうが、だがこれは伊勢神宮の歴史から、天皇を祟ってきたのは天照大神荒魂であったとの証でもあろう。

剣に斎く神は、佐賀県は神埼郡の櫛田宮にも祀られている。櫛田宮の由緒は
「往昔此の地に荒ぶる神あり。往来の諸人多く害されたり。此の時に景行天皇の筑紫御巡狩ありて、此の地御通軍の際、櫛田大神を御勧請ありしかは、更に殺害に遇ふ者なく蒼生皆幸福を蒙りたり、故に郡名を神埼と謂ひ、鎮座の地も、神埼と云ふ。」
櫛田大神とは世間一般に
"お櫛田様は女神"と信じられ、その御神徳は
「諸々の禍を払い除き、逃れさせたもう」と伝わっている。これは
「佐賀県神社誌要」によると、弘安年中蒙古襲来の時、櫛田の神の御宣託に
「我れ異国征討の為に博多の津に向ふ。我が剣を末社博多の櫛田に送り奉る可し。」蒙古襲来の戦地に赴いたと云う。蒙古との合戦の最中、海上には数千匹の蛇が浮かび出たとし、その三か月後、櫛田宮の末社である櫛田神社に疵を受けた数多くの蛇が現れ、再び櫛田神の御宣託があり
「各蛇疵をこうむるといえど、蒙古は既に全滅した。」と宣ったと。これから察するに櫛田神とは、剣に斎き蛇を眷属する神だと理解できる。
現在の祭神は、櫛名田比売を主祭神として素戔男尊と日本武尊の三柱となっているのだが、その祭神についての論争が諸説ある為、取り敢えず現在の祭神で収まっている事情の様だ。ただ櫛田神は剣に斎き、蛇を眷属する神であるが、それがどうも櫛名田比売に結び付かない。櫛名田比売は八岐大蛇に怯え、素戔男尊に退治して貰ったか弱き姫というイメージであるからだ。
それでは、その祭神の諸説を見ると、櫛名田比売説と大若子命説と豊次姫命説の三つがある。確かに櫛田宮という社名から櫛名田比売を想像する場合が多いのだろう。しかし、長い間信じられた祭神は、豊次姫命だとされている。これは
「櫛田宮由緒記」に、
「櫛田大明神をもって総社とす。伊勢大神宮の大娘豊次姫命これなり。」と記されている為だが、この神名の正しくは
"豊鍬入姫命"であり、崇神天皇を祟った天照大神荒魂を倭の笠縫村に祀った初代の斎宮であった。また大若子命説だが、
白井宗因「神社啓蒙」に
「櫛田神社在肥前国神埼郡 祭神一座 大若子命」とあり、また
「佐賀繁昌記」にも
「櫛田社祭神大若子命也。」と記されているとの事。この大若子命とはなんぞや?と思ったが、別名
"大幡主命"とされる。だが"大幡主命"といってもピンとはこない。しかし調べてみると実は、崇神天皇を祟った天照大神荒魂が流離った時に帯同した人物であった。正しくは、伊勢国の櫛田郷辺りの国造で、倭姫命に奉仕する大神主であった。
「神社啓蒙」によれば、いつの間にか斎祀る側が櫛田宮に神として祀られてしまったとの事である。櫛名田比売はさて置いて、豊鍬入姫命も大若子命も、天照大神荒魂を奉斎した者達であった。また
「禰宜補任」によれば、櫛田宮の由緒に登場する景行天皇のくだりだが、実は景行天皇にも仕えこの神埼に来た大若子命が、此処にも来て荒ぶる神を和ませたという事の様である。それはつまり、この神埼の地の荒ぶる神とは、櫛田大神であり、それは天照大神荒魂であったという事実があった。

この櫛田宮の目と鼻の先に、與止日女神社がある。
「肥前国風土記」にも登場する女神だが、
「佐賀郡誌」によれば、
「神功皇后を助けて三韓征伐に軍功ある女神」という事であるが、その正体は神功皇后の妹であるともされている。しかしだ、阿蘇の菊池氏の主流である日下部氏が奉祭する母神に蒲池比咩がいる。この蒲池比咩は、この肥前国一宮である與止日女神社(川上神社)に祀られる與止日女と習合している。そして筑前糸島の桜井神社(與止日女宮)」で川上の與止日女は瀬織津比咩と同神とされている。瀬織津比咩は天照大神荒魂とされる事から、櫛田宮と同神という事になる。そもそも
「肥前国風土記」に登場する
"荒ぶる神"そのものが天照大神荒魂であると伏せられていた事からの混乱でもあるのだろう。
更に、この櫛田宮の目と鼻の先、筑後川を間に挟んだすぐ傍に水天宮が鎮座している。平安時代の神埼御荘の長官は、平忠盛であった。平氏一門は、この神埼に宋の商船を迎え入れ、密貿易によって利益を蓄えたとされている。恐らく按察使局伊勢は、この平氏一門の力が根付いている筑後川界隈を頼って訪れたものと察する。更に加えれば、平家一門の信仰の共通もあったからではなかろうか。
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