遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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河童と瀬織津比咩(其の十)

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水天宮を初めに祀った尼御前は、物部の女であり、平家に仕えていた。それはつまり、平家の信仰にも携わっていたという事だろう。平家の信仰の拠点といえば厳島神社だが、平清盛を筆頭とする平家は伊勢平氏と呼ばれ、伊勢の地が発祥となる。伊勢の地で地盤を固め、頭角を現したのが伊勢平氏だ。当然、その信仰の拠点も伊勢にあったものを、厳島に移したと考えて問題は無いと思う。しかし、伊勢平氏の伊勢での信仰の拠点は多度大社であり、現在その祭神を確認すると、天津彦根命を主祭神としている。そして境内には、天津彦根命の子である天目一箇命を祀る別宮・一目連神社があり、本宮とともに多度両宮と称される。しかしこれでは、厳島神社との共通点が見出せない。わずかに摂社として美御前社には、厳島神社と同じ市杵島姫命が祀られているに過ぎない。

「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」

上記の歌が詠われたように、多度大社と伊勢神宮との関係は深そうだが、それは、天照大神の御子である天津彦根命を祀っているからだとされている。だが上記の歌以外に「梁塵秘抄」に、下記の様な歌が詠われている。

「関より東の軍神、鹿島香取諏訪の宮、又比良の明神、安房の州龍の口や小野、熱田に八剱伊勢には多度の宮」

多度大社は軍神と呼ばれているのだが、天津彦根にそれを感じないのはどういう事だろう。高橋昌明「清盛以前」を読むと、多度の地には、多度神社と多度神宮寺があり、伊勢平氏にとっての氏寺が多度神宮寺であったと。ただしそれは多度神宮寺と多度神社が一体不可分のものであるから、多度神社に祀られる祭神は当然、多度神宮寺と本地垂迹の関係になるのだろう。高橋昌明氏は「多度の地の多度山は、まさしく伊勢平氏の氏の祖霊の鎮まる霊山であり、多度神社及び多度神宮寺は、その神聖な祭壇と見做す事が出来る。要するにこの多度山は、伊勢平氏一門同族の結集の場であり、何よりも伊勢平氏の精神の故郷にほかならなかった。」と説明している。

八巻照雄「伊勢平氏盛衰史」には簡単な年表と共に、平氏と厳島神社との関わりを紹介している。例えば「長寛二年(1164年)九月、平家一門三十二人が法華経(三十三巻)を書写し、安芸にある平家の守護神・厳島神社に奉納した。」とある。この法華経の三十三巻は"十一面観音の三十三応現身"になぞらえたという。つまり、"平家の守護神"とは、十一面観音と関係の深いものであるという事。

伊勢平氏の精神の故郷であり軍神である多度大社であったが、主祭神の違う厳島神社もまた軍神を思わせる"平家の守護神"であるとしている。精神の故郷を捨て去って、新たに厳島神社を信仰する程、平家の信仰は移ろいやすいのだろうか?伊勢平氏は、軍事的貴族とも呼ばれた。それは、伊勢平氏が超人的武運に恵まれる事を願った為に、多度大神を信仰したのだと。その軍事的貴族を永続するのであるなら、多度大神と厳島明神は戦神という神威を共通する同神でなくてはならない。何故なら、神は祟るからだ。伊勢平氏の地盤を築いた多度大神を簡単に捨て去る事は、その時代の信仰の深さからみて有り得ない話だ。
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木野戸勝隆「百日参籠」によれば、多度大社の主祭神である天津彦根を否定し、本来の祭神は不明であるという。その神は、"近江国より来た神なり"とのみ言い伝えられ、神名はわからないとしている。そしてもう一つわかったのが、この多度の地は"元伊勢"と呼ばれているという事だ。元伊勢とはどういう事かと云うと、伊勢大神が一時坐した地であるという事である。近江国、琵琶湖の辺に、やはり元伊勢の地がある。それは、崇神天皇時代に祟った天照大神荒魂が流離った過程の一つが、近江の地であり、この多度の地であった。

近江雅和「記紀解体」によれば、崇神天皇から離れ遷座の地を求め彷徨ったとされる旅の面々を見る限り、それは武力平定の移動であったろうと述べている。ここで思い出して欲しいのは、神功皇后の武力平定の先鋒でも、荒魂が務めたと云う事。鎮座後に留まるのは和魂であり、行動するのは荒魂であるという事から、滝宮に至る四十年間に、各地を荒魂を先鋒として武力平定し続けた旅であったのだろう。それ故だろう、多度の地にも訪れた天照大神荒魂であったからこそ、軍神として「梁塵秘抄」にも詠われた。また、天武天皇が壬申の乱の前に、伊勢大神に向って祈ったのは、今の伊勢神宮の方向ではなく天照大神荒魂が彷徨い最後に落ち着いた滝宮に向ってのものであった。物部氏に伝わる伊勢大神とは、三韓征伐にも関係した天照大神荒魂である撞賢木厳之御魂天疎向津媛命である事から、天武天皇は戦神に勝利を願ったのだと思う。そしてその撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は、剣に斎く神でもあった。

多度の地を武力平定して一時坐した天照大神荒魂は、多度の地にはもういない。しかしその神威は衰えずに伊勢平氏の"祖霊"として残っているからこそ、信仰されたのだろう。仁安三年(1168年)、平清盛は厳島神社を修築している。平清盛が厳島神社を重視したのは、在来の神社・仏閣が皇室、貴族の深い信仰を受け、それに増長して横暴を極め、更に僧兵まで養って、強訴を繰り返して朝廷を圧迫していた事が大きかったという。つまりその当時の厳島神社は、朝廷や貴族の息がかかっていなかった神社であり、平清盛にとっては聖地に思えたのではないか。奇しくも、平清盛が厳島神社を修築した同じ年に、伊勢神宮が燃え落ちている。もしかして、伊勢で祀られている天照大神荒魂を厳島神社に移す為に、平清盛が伊勢神宮に火を放ったのかとも思えてしまう。そしてその六年後の承安四年(1174年)に、後白河法皇の厳島神社の参詣に、伊勢平氏一門が同行した。これが平清盛が準備してきた伊勢平氏の守護神である厳島神社信仰の始まりであり、そしてこれまで信仰していた多度大神信仰の終焉となった。
by dostoev | 2016-12-12 22:40 | 河童と瀬織津比咩 | Comments(2)
Commented by 五十嵐 洋 at 2017-05-23 16:31 x
片参りについては、多度に限らず熊野や朝熊(金剛證寺)、多田大社(イザナギが親だから?)をはじめたくさんあるようですが、ふと思い出したことを。

多賀神社や厳島神社はしゃもじで有名ですが、あれは男根崇拝が2次元になったものだと思っています。
崇神天皇代にほとんどの有名な神社の再整備がされたのですが、その時代に元々宮中で祀られていた天照・・・その時点では男性神だったのか、別な女神だったものが天照の名をいただいたのかはわかりませんが・・・が、大物主と一緒に祀られることを忌避してあちこち回った挙句伊勢に落ち着いたことは無関係ではないでしょう。
元伊勢というのも、あちこちの名のあった国津神(地主神)に、あいさつをしながら許される居場所を探したと考えたいところです。

多度・多賀の「た」が曲者で、SEXによって豊穣を約す祭りが古社に「おんだ祭(御田祭り)」として残っていますが、「おん(御)」は敬いなので、「た(田・多)」が産み出すことを意味しているわけです。
大懸神社や田縣神社は、それぞれ男根・女陰を祀ることで有名ですが、この「田」や「あがた(吾が田)」もまた無関係ではないと思います。

そういう古社に残った、神道以前からの性神信仰を多度社も残しているのではないでしょうか。
風の神というのはすなわち蹈鞴(たたら)に吹き込んで産み出すためなので、やはり豊穣の「多度(田処)」なのでしょう。

そうしてみると片参りというのは、片性だけでは子を産めない(成就しない)ので、両性に参りましょうという、昔であれば言わずと知れた暗黙のルールだったかと。

天津日子根も宗像三女神も、スサノオと天照の誓約の際に生まれた神ですし、多度大社の末社の一目連社に祀られるアマツヒコネの子とされている天目一箇神がいますが、一目連社は多度社と合わせて両宮という扱いであったようです。
大物主を祀る際の鍛冶神という点で同一視される天津麻羅(陽根ですよね)がもともとの地主神だったものを子神として取り込んだのでしょう。

【参考】
「た」・・・田・多・太・他・足・手・食・垂・堪・炊・立・達・丹・玉
「た」は足りること、多く大きいこと、垂れるだけ充たされること、達し成立すること。完成されること。大切なもの。豊穣と収穫。
Commented by dostoev at 2017-05-24 15:53
厳島神社が豊穣を司るという信仰は、女神であるからでしょう。しかし平氏が豊穣を中心とした信仰に重きを置いたと考えるには、無理があると思います。男根崇拝と豊穣は二次的に発生したものと思います。とにかく山神(女神)に男根を供えると同じでしょうね。

伊勢大神の流離は、メンバーが武力に長けていた者達で構成されていた事から、武力制圧の旅との認識をしていました。

古代の神は、陰陽の和合を意図して彦神と姫神の対が原初だと聞きます。しかし「古事記」や各「風土記」には、男神と女神の争いの後、袂を分かつ内容が記されています。山に女神が鎮座したならば、豊穣を願う場合、それを補う形で男根を供えるのは、その山に男神がいないと言っているようなものです。

「た」に関しては、確かにそういう意味になると思います。ただ、熊野を詣でる場合伏見を詣でよというのがありますが、これは伏見が護法の為に附くのであって、豊穣とはまた違ったものとなります。多度と伊勢の場合にも、多度が軍神であれば、伊勢参りの護法としての多度という考えも出来るかもしれません。

また天目一箇神を信仰するタタラ系は、太陽信仰もすると云います。確かに日=火ですから納得するものですが、三重のゲーター祭は、その太陽を殺すものとされています。それは恐らく再生を願ってのものと考えられていますが、「古事記」の三貴神を産むくだりは、左目を洗って天照大神。右目を洗って月夜見命とされていますが、これはようは左右の目が独立して考えられているという事。つまり太陽が死んで暗くなれば、闇が訪れ月が昇るとも考えられます。タタラ系のタラの芽などで片目を潰す逸話はゲーター祭に照らし合わせると、太陽か月のどちらかを殺すという意味合いになります。一目連社に祀られる天目一箇神は、果たして月なのか太陽なのか。これが伊勢神宮に関わるものなら、かなり深い意味を有しているのかもしれません。
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