聖徳太子信仰ならわかるが…聖徳太子の息子を信仰するとなると、
珍しいというか不思議というか…。
太子の息子で有名なのは山背大兄王だけれど、蘇我入鹿が斑鳩宮
を襲い、宮は焼失し、太子の息子・山背大兄王とその一族は共に自決
し、上宮王家は滅亡したという歴史があるが…。
太子の子で男は山背大兄皇子・財王・日置王・長谷王・三枝王
・伊止志古王・麻呂古王ざっと七人いるが、その中の誰を信仰
しているというのだろうか?
考えられるのは、やはり山背大兄王だろう。中国から伝わった御霊信仰
から、人を殺すと祟る。それも身分の高いものを殺せば、それだけ祟る力
もアップするものだという考えが当時蔓延していた。不遇の死によるのな
らば、庶民は祟りを恐れ、神として祀り崇める。だからこの聖徳太子の息
子を信仰するというのは、やはり山背大兄王の事だろう。