この神社は、死んでいた。入口の鳥居はそれなりに新しく、雰囲気もある。しかし、鳥居を潜ってから信仰の死を感じた。
鳥居の奥は、蕗の葉が生い茂り、人の往来の無さを表していた。
そして社までの参道は、雑草が生い茂り、どこに足を向けて進んで良いか迷ってしまうほど。
社そのものは、神を祀る社という感じでは無く、神を遥拝する拝殿の様相であった。方向はどうやら、早池峯を向いているようだ。
この神社の当初は、どうやら小さな祠で早池峯大神が祀られていたようだ。その後地域での信仰の広がりから、社や鳥居も大きくなったようだが、その後に廃れて行ったのは、やはり人口の推移によるものだろう。神とは人が祀るものであるから、人がいなくなるという事は、信仰の終焉でもある。学校の統合、神社の統合、世の中の流れとなっている。