
鯰と地震の関係についてなのだが、遠野に住んでいると、それが実感できない。何故なら、遠野には鯰が生息していないからだ。似た様な魚に
"ギンギョ"と呼ばれるものがいる。ただしギンギョという呼び名は、この地方独自のもので、正確には
"ギギ"と言い、、ナマズ目ギギ科の魚となる。子供の頃、川で初めてギンギョを捕まえた時は鯰だと思っていた。まあ鯰の仲間ではあるが、鯰ほどには大きくならない。だからか遠野においてのギンギョは、イワナやヤマメ、鯉やウナギ、そしてカジカに比べれば存在感が薄い魚である。
川の主として人間に化けて、川漁をやめさせようとする大鯰の話がある。または、阿蘇地方では阿蘇山のカルデラ湖の縁を健磐龍命が蹴り裂いて、湖の水を無くそうとした。しかし、そこに湖の主である大鯰がいた為に邪魔で、なかなか水が無くならない。そこで健磐龍命は、その大鯰を、どうにかどけて、湖の水は完全に干上がった。そこに稲作を始めようとしたが、上手くいかない。それは鯰の祟りだと知って、それから阿蘇の人々は鯰の霊を祀り、鯰を食べる事を止めたという。恐らく日本における鯰の古い伝説は、この阿蘇の話しだろう。何故なら登場する健磐龍命は、神武天皇の孫という設定だからだ。
また、その健磐龍命の妻である阿蘇津比咩は、日下部吉見神社の姫が嫁いだものであった。しかし、この日下部吉見神社もまた因縁がありそうだ。この神社は、阿蘇神社よりも6年程古い。社殿が鳥居より下にあるので、下り宮と云われ、日本三大下り宮の一つとなっている。ただこの下り宮は別に
"忌宮"とも云われるらしい。その忌宮と呼ばれる理由は定かでは無い。この日下部吉見神社の由緒だが、神武天皇東征六十九年にに、彦八井耳命が日向高千穂より日下部に入り、暫くの間川走の窟に住んでいた後、日下部吉見神社の地にあった
"池を干し"宮を定めてからだという。その時、襲ってきた大蛇を斬ったというが、恐らくその大蛇が、その池の主であったのだろう。これは、健磐龍命の湖の主である鯰を退治した話と似通っているが、つまり全ては、未開の地を征服し開拓するという神武天皇からの政策からなのだろう。
その阿蘇は現在、大地震による被害で苦しんでいるが、古代の阿蘇もまた大地震で苦しんでいた。
天武天皇時代(在位 西暦373~686)には白鳳大地震を筆頭に、なんと19回もの大地震が起きている。これを知ると、まだまだ阿蘇では地震が続く可能性もあるのかもしれない。

ところで遠野には、多くの要石を有する不地震地帯というものが存在する。これは古老による口伝ではあるが、古代に九州の地が地震などの天変地異で不安定な時に、安住の地を求めて遠野に移り住んだとの伝承がある。
伊能嘉矩「猿ヶ石川流域に於ける不地震地」によれば、その不地震地は、全部で13ヵ所にもなる。しかし調べると、経塚もまた不地震地となる可能性があるので、あと4つは追加になるだろうか。それら不地震地帯を図にあてはめて見ると、早池峯神社の地だけが、北に飛び抜けて離れているのが分かった。不地震地の半数に天台宗が関係する場所がある事から、恐らく早池峯神社及び早池峯山を頂点として、不地震地が設定されたのではないかと考えた。この不地震地帯は何故か川側の盛り上がった丘の上に設定流されている場合が殆どである。つまり地震だけでなく、水害をも抑える意図があってのものだろうと思う。
日本で最大の湖である琵琶湖を調べると、琵琶湖の東岸に石造神社があり、他にも石造・玉作神社。瀬田には岩坐神社や石山寺など、琵琶湖を石と名の付くの神社仏閣が多い。また、琵琶湖の裏鬼門に位置する比叡山は、北斗七星が降った霊山であるとされる。星は石でもある事から比叡山もまた石としての呪術として、琵琶湖と何等かの関係があるのではなかろうか。大雨が降り続いて起きる山崩れや土石流を"蛇崩れ"や"蛇抜け"と呼ぶのは、水が龍蛇の象徴と捉えていたからである。健磐龍命は、岩を蹴り裂いて阿蘇のカルデラ湖の水を外に出した。つまり石が、水に対する防御となっているのが理解できる。
「日本書紀(天武天皇七年)」に
「筑紫國、大きに地動(なゐふ)る。地裂くること廣さ二丈、長さ三千餘丈。百姓の舎屋、村毎に多く仆れ壊れたり。是の時に、百姓の一家、岡の上に有り。地動る夕に當りて、岡崩れて處遷れり。然れども家既に全くして、破壊るること無し。」
この「天武記」の話は、大地震が来ても岡の上の家はまったく安全で被害が無かったと記している。ここでは、その岡の詳細が記されていないが、恐らく大岩を含んだ安定した岡であったのだろうと予想する。何故ならば、神社仏閣の建つ地域はしっかりした岩盤の上に成り立っているものが多い。これは例えば
「大祓祝詞」などにも記されている様に
「底つ磐根に宮柱太しり立て…。」とあるのは、実際の建築様式である筈。実際に神社仏閣の土地が不地震地帯になっているのは、この様式に合わせて土地を選び、社を建てているからだろう。去年に早池峯神社へと行きドローンを飛ばそうとしたら、電磁波の干渉によりドローンを飛ばす事が出来なかったのも、早池峯神社の地盤が磁力を帯びた磐の上に建てられているからだろうと考えた。
この「天武記」の地震の際に無事だった百姓の家の検証が成されてはいないが、この天武時代に発生している19回にも及ぶ大地震の際、不安になった九州に住む人々は、故郷を捨て、安住の地を求めて遠野に辿り着いた可能性は無いだろうか。何故なら、阿蘇山に祀られる阿蘇津比咩とは、遠野の早池峰山に祀られる瀬織津比咩であるからだ。瀬織津比咩が阿蘇に嫁いだ為に、神名が阿蘇津比咩となっただけである。共通する神を祀る阿蘇と遠野、あながち伝説だけで済まない気がする。早池峯の由緒では、始閣藤蔵が金が採れたら、早池峯山にお宮を建てると祈願したのだが、つまり早池峯神社が建立する以前から、早池峯山には女神が祀られていたという事。それでは誰が大同元年(806年)以前、早池峯山に阿蘇山と共通する女神を祀ったかという事になる。(続く)
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