オクナイサマを祭れば幸多し。土淵村大字柏崎の長者阿部氏、村にては田圃の家と云ふ。此家にて或年田植の人手足らず、明日は空も怪しきに、僅ばかりの田を植ゑ残すことかなとつぶやきてありしに、ふと何方よりとも無く丈低き小僧一人来りて、おのれも手伝ひ申さんと言ふに任せて働かせて置きしに、午飯時に飯を食はせんとて尋ねたれど見えず。やがて再び帰り来て終日、代を掻きよく働きて呉れしかば、其日に植ゑはてたり。どこの人かは知らぬが、晩には来て物を食ひたまへと誘ひしが、日暮れて又其影見えず。家に帰りて見れば、縁側に小さき泥の足跡あのたありて、段々に坐敷に入り、オクナイサマの神棚の所に止りてありしかば、さてはと思ひて其扉を開き見れば、神像の腰より下は田の泥にまみれていませし由。
「遠野物語15」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
佐々木喜善「遠野物語のザシキワラシとオシラサマ」によれば、その時代の田植えの日取りは、小正月の日に決められていたのだという。
「何の某の田植えは節句から、何日のいッかと取り定められてあっても、不意にお産か何かの故障のために、サセトリ(鼻取り)早乙女、トネ人、ボナリなどの、不意に欠くることがあった。家婦新嫁などが前夜寝ずに村中を廻り歩いても、もう何家でも日取りがあって如何ともならぬ仕義。」この喜善の言葉の通り、小正月の時に田植えの日取りを決めても、春の田植え時期に、お産やら怪我やら、いろいろな事によって、人が欠けてしまうのは仕方ないが、周囲もそれを融通して、日程変更する事も無いというのが、少々驚きでもある。佐々木喜善が、何故に小正月に田植えの細かな日取りを決めたのか記していないが、もしかしてそれは、オシラサマの占によるものではなかったか?オシラ神による託宣であったからこそ、田植えの日を変更する事無く厳粛に受け止めていた可能性はないだろうか。
こうして田植えに人が欠けた時に主のなす仕事は、鎮守の神様に馳せ詣る事であったそうだ。佐々木喜善の家では、ダンノハナの北側にある熊野様に参詣する事になっていたそうである。

オクナイサマ、もしくはオシラサマが田植えを手伝う話はいくつもある。泥の付いた小さな足跡を辿ると、オクナイサマやオシラサマのいた場所に行く着くので、田植えを手伝ってもらった話として昇華している。しかし、オシラサマには、足が無い。足跡というから、二つの足で歩んだ足跡がついていたのだろうから、これはおかしい。だがこれも、日々の信仰から来るものであった。神に対して、供物などの物を捧げるのは、神に対する感謝でもあるが、その供物を毎年安定して捧げれるよう、つまり毎年の五穀豊穣を神に対して願っているのでもある。その供物だが、それは作物や酒だけでなく、その作物を生み出す土もまた同じである。例えば、同じ五穀豊穣を願う稲荷神社の鳥居は赤色である。その赤色は火を意味し、陰陽五行の法則から火生土となり、野焼きの様に火の後には、豊かな土が生れると信じられていた。そして、豊かな土があるからこそ、豊穣がなせるのである。つまり、この泥の付いた足跡とは、主が神に対して土を捧げ、その土から生れる五穀豊穣を願った事を、神仏の手伝い譚として伝えられたものと思う。
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