「山城名勝志」に
「土民伝昔宇治川のほとりに夫婦すみけるが男竜宮へ財をもとめんとて行きて帰らざるを、女悲しみて彼橋辺に於いて死して神と成る。乃ち曰、橋守明神といへり。」宇治では古くから、渡船業や漁業を生業とする人々がいたと云い、そうした人々は水神を信仰すると共に橋姫を祭祀していたという。その時代に、宇治川で水死した人を
「竜宮に財を求めに行った。」という言葉で表したという。つまり、宇治川もまた、竜宮への入口であったと認識されていたのだろう。水神信仰と共に橋姫を祭祀したのは、全て橋姫を通して水神の元へと連れて行って貰えると信じられていた為であろうか。ただ思うに、行った先が黄泉国であるのを竜宮に行ったという事にしたのは、一つの慰みであったのかもしれない。そういう意味では、民の心にはどこか竜宮=黄泉国という意識があったのではなかろうか。
「古事記」においては、伊弉諾の黄泉国の帰還後に誕生した八十枉津日神(瀬織津比咩)である事から、瀬織津比咩にはどこか黄泉国の匂いがする。橋姫が男に対する恨みから宇治川に浸かり鬼になったくだりは、「今昔物語」で、厠に入った女が鬼になって出てきた事から、川も厠も同じ黄泉国の入口であったという認識がなされていたのではないか。ところで、
黄泉国・霊界・竜宮・根の国・底の国・常世国など、いろいろな人の行く末の名称があるが、観念的には殆ど同じものであったのだろう。ただ、宗教的意識によって、その名称が変わったと考えていただきたい。
「日本書紀(垂仁天皇二十五年三月)」に天照大神が登場し、伊勢のイメージを
「是の神風の伊勢國は、常世の浪の重浪歸する國なり。」という言葉で表している。常世の「ヨ」とは、生命力を表し豊穣の源泉であるとされている。つまり常世とは、生命力が集まり、それが溢れ出る地であるという事か。そして、それらが伊勢に押し寄せるという。この天照大神の言葉の後、伊勢国に祠を建てるのだが、それは現在の伊勢神宮の地では無く、瀬織津比咩が祀られる滝原の地であった。となれば、崇神天皇時代に祟って放浪し、佐久奈谷の大石(忌伊勢)に立ち寄った神であり、伊勢国から常世の波を眺めた神とは天照大神ではなく、天照大神の荒魂であったと思えるのだ。

宇治川は途中淀川となって、最後は海へと流れ注ぐ。しかし先に書いた様に、宇治は兎路であった。莵の隠語は、月を意味している。天武天皇時代から行われた大嘗祭が卯の日とされているのは、卯の方位は東方で太陽の昇る方向とされているが、月もまた東方から昇るものである。常世とは、常夜とも書き表す。天照大神の眺めた常夜の波とは、東方の海の彼方から押し寄せる波である。それは恐らく、太陽の明かりによって照らされた波では無く、月光に照らされた波を言ったものだろう。実際に太陽暦が採用されたのは、持統天皇時代以降であり、天武天皇以前は太陰暦が採用されていた。天武天皇時代から行われた大嘗祭が卯の日とされているのは、卯の方位は東方であり、それは太陽でもあり、豊穣を意味する月の昇る方角をも意識したのではなかろうか。満月の夜には、海辺に魚などが押し寄せ産卵行為をする事が古代から認識されていたのであれば、満月と豊穣は結び付けて考えられた事だろう。古代での死生観は、死して復活である。太陽は毎日、東から生れて西に死ぬ。それは、月も同じである。しかし太陽と違って、月は日毎の満ち欠けの姿から、復活・蘇生・誕生への意識を強くさせている。つまり宇治(兎路)とは、その生命力の路ではなかろうか。
人が水に呑み込まれて竜宮へ行くという観念は、先に記した。その人の生命力を呑み込んだ水であり川は、海へと注ぎ、常世国へと流されていく。その生命力が再び常世の波となって伊勢に押し寄せるという観念からだろうか、現在の伊勢神宮には宇治橋があり、またひっそりと隠れた場所に橋姫神社が祀られているのは、琵琶湖から宇治を経て伊勢に帰結する循環を意識してのものでは無かったか。先に述べた様に、橋姫は水神祭祀の神を迎える巫女としての玉依姫としての役割であり、それが琵琶湖・宇治橋という死との境界と、伊勢神宮・宇治橋という生の境界に祀られている理由ではなかろうか。

貴船神社の社伝によれば、神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭ったのに始まると伝えている。その貴船の水神は、橋姫に対して
「宇治の河瀬に行きて三七日漬れ。」と伝えたのは何故か。実は、伊勢神宮と鞍馬山を含む貴船には、共通するものがある。それは、六芒星である。
六が意味する事は、干支の子から始まって六番目の巳を意味する為に六つ連なる形とされた。つまり、六と言う数字そのものは、蛇を意図しているという事。それを形作れば、六芒星であり、籠目模様であり、亀甲紋となる。北の聖獣でもある玄武とは、蛇と亀の結び付きだというのが一般的に知られるが、その玄武は蛇を噛んでいる姿で表すのが正式である。古代中国では、蛇を悪しきものとしていた。疾病という漢字も蛇が体内に入り込んで病気になったという事を意味している。その蛇を噛む亀とは、ある意味魔除けとなるのであった。また籠とは、龍を竹で囲んで封印したという意味を有する。その籠を竹で編んで、籠目の形を作るのだが、その形が六芒星の様な籠目模様であり、それは魔除けを意味する。つまり、伊勢神宮の灯篭に刻まれている籠目紋様が本来、伊雑宮のものであったというならば、伊雑宮に蛇が封印されている印だと考えても良いだろう。その蛇とは何か?その伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命と玉柱屋姫命の二座が祀られていたが、伊雑宮御師である西岡家に伝わる文書では、祭神
「玉柱屋姫命」は「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれる。そして同じ箇所に
「瀬織津姫神天照大神分身在河」とある事から、伊雑宮には瀬織津比咩が祀られている。籠目紋から亀甲部分を抜き取ると、三角形だけが残る。この三角形だけで家紋としているので有名なのは、北条氏である。その北条氏が江ノ島弁財天に子孫繁栄を祈願した時、美女変身した大蛇が神託を告げ、三枚の鱗を残して消えたことに因むというが、三角形は古代から蛇の鱗を意味している。つまり、籠目紋そのものは、亀と蛇の組み合わせであり、北に鎮座する玄武を意味しているのだ。
六という数字が蛇を意味し、その六つの角もまた蛇を意味する。もう一度、伊勢神宮の石灯篭を見れば、菊紋の下に籠目紋が刻まれている。その伊雑宮の鰹木と千木だが、千木は内削ぎで、鰹木は6本の偶数となっている。俗説ではあるが、女神を祀る場合は偶数の内削ぎだと云われるが、その鰹木が6本であるのも蛇神の女神である事を意味しているように思える。実際に祀られている瀬織津比咩が蛇神である事は、今更言うまでもない。そして、その六芒星であり亀甲紋が鞍馬にもあるのは、伊勢との共通性を意味するものだろう。つまり、伊勢神宮と貴船神社に祀られる水神は、同じという事。それ故に、貴船の神が橋姫に対し宇治川に浸かれという意味は先に記したように、宇治川が伊勢との繋がりが深い地である意味を有している為だろう。橋姫神社の祭神が、佐久奈谷(桜谷)に鎮座する瀬織津比咩である事から、宇治川に身を浸す女とは、黄泉国から帰還し瀬に下って穢祓をした伊弉諾を想起させるが、その本質は、穢祓の女神である瀬織津比咩の姿をイメージしてのものだろう。橋姫は、瀬織津比咩の霊(タマ)を依り憑かせる巫女であったのが、後に様々な人の意識が付着して、現代に伝わる姿となったのだと考える。
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