「古事記」において、八上姫と結婚した大国主は、八上姫を因幡から出雲へ連れてきたが、本妻の須世理姫を恐れて、八上姫が生んだ子供を木の股に刺し挟み因幡に返してしまった。それからその子供の名前を木俣神、またの名を御井神といった・・・という話。この木俣神は、伯耆国の阿陀萱神社で阿陀萱奴志多喜妓比売命という神名で祀られている。その由緒は、下記の通りとなる。
多喜妓比売命は大己貴命の御子なり、母は八迦美姫命と申す。神代の昔、出雲国直会の里にて誕生あり。八迦美姫命、因幡へ帰らんと大己貴命と共に歩行し給ふ時に、御子多喜妓比売命を榎原郷橋本村の里榎の俣に指挟て長く置き給ひしときに、我は木俣神なりと申給ひて宝石山に鎮座し給へり。また、同地に鎮座する御井神社の祭神も木俣神であり、その由緒に
「木俣の神、又は御井の神と申し上げ、安産守護、水神の祖として広く信仰をあつめている。」としている。水神の祖とはどういう事なのかだが、安産守護に関しては二股は女性の股を意図としている事からのものだろう。とにかく木俣神は、御井神であり、多喜妓比売命という神名であった。この三つの神名は、まったく関係なさそうでありながら、実は深い繋がりを持つ神名である。
樹木は地上と地下の境界であり、地下である根の国の入口として認識されていた。遠野の東禅寺跡に、早池峰権現が無尽和尚の杖をとって地を突いたところ、水が湧きだした事から
「杖(またふり)の井」、または開慶水と伝えられる。開慶水は別に早池峯山頂にもあるのだが、早池峯権現がこの東禅寺にも開慶水を与えたという話である。ところで「杖(またふり)の井」とは、二股の木を地面に突き刺して涌き出た泉の事を云う。どうやら二股の部分が地との交流を促す呪力があると信じられていたようだ。二股の杖は西洋では占杖といい、この杖で地下水や地下鉱脈を探るのに使われたという。古今東西、二股の杖は、地下との交流・交信の手段のアイテムであると認識されているのは興味深い事だと思う。

実は天の川も、二股であるという認識が、世界中でなされている。
「源平盛衰記」に源頼朝が隠れた、臥木に開いた朽穴のエピソードが紹介されている。源頼朝自ら
「臥木の天河に隠れ入りにけり。」と述べているが、歴史上では聖徳太子が二つに割れた木のうつぼに隠れて助かった話と、天武天皇も二つに割れた榎の大木に隠れた事を
「天河に隠し奉って、後に王子を亡くして天武位につき給へり。」とあるように、源頼朝もそれに倣ったのか。天武天皇は壬申の乱の前日に、滝宮の方角に向いて祈った事もあるのだが、これも水神である龍神に対しての祈願ではなかったか。天河も地上の川の投影であり、水神であり龍神でもある。天河に隠れるとは、龍神の庇護に入る意味合いを持っているのだろう。その結果、天武天皇も聖徳太子も、そして源頼朝も天下を制している。
「和妙類聚抄」では、この木の洞に溜まった水の状態を
「岐乃宇都保能美都(きのうつぼのみづ)」と書き示し、それを
「半天河」としている。半分の天河とは、夜空に浮かぶ天の川に準ずるものであるという認識で良いだろう。
先に書いた様に、二股の木は地下への入口であった。しかし地下とは大地そのものであるから、地母神の胎内の入口でもある。木俣神の本来の神名が、多喜妓(たきき)比売命という、名前に滝を内包する神名は、俵藤太が訪れた竜宮の入口である滝壺を意図している。柳田國男は、二股の木の股の空洞の部分が水を湛えているものを天然の井戸であろうとしている。木俣神の別名が、御井神であるのは必然であった。
溝口睦子「ヤクシーと木俣神」の見解によれば、二股の木は水に繋がる豊穣神であろうとしている。二股の空洞に溜まる水が地下と通じている認識は、滾り落ちる滝が地下世界へとの入口であると同じ事であろう。木俣神の本来の神名が多喜妓比売命という滝神であるのも、地下世界=根の国=黄泉国との境界神である意図を含んでいる。

七夕の日に藁で作った馬を供えるのは、祖先の霊を迎える乗物とする為とされているが、地方によっては七夕様を迎える為に馬を作り供えるのであった。七夕とは天の川を中心に考えられたものであり、その天の川は二股の川であり、龍神でもある。つまり、龍神を迎え乗せる馬を七夕に供えるものと思って良い。
先の風土記の男神と女神の水争いであるが、勝利したのは女神であり、それから川の流れは北から南へと流れる様になったのは、不変な天の川が北から南へと流れる様を投影した為では無かろうか。山は360度に渡り広がりを見せるものだが、その山を北に位置させ、その山から発生する川が南へと流れる事が正当とさせる意味とは、その山に鎮座する女神の正当性を説いているわけである。奇しくも、遠野の北に鎮座する早池峯を源とする川は、南へと流れ、西へと進路を変え、北上川に合流している。そして、その早池峯の麓に鎮座する早池峯神社の大祭では、早池峯の神を乗せた神輿をまず馬を祀る駒形神社に寄ってから境内外に出るのも、馬が神の乗り物であるからだ。荒ぶる女神と七夕神の系譜を早池峯の神である瀬織津比咩は踏まえている。
木の洞に溜まった水は井戸でもあり、滝でもある。そしてそれは、天河とも見做された。そこに鎮座する木俣神は滝神であり、地上と根の国=黄泉国の境界に位置する境界神でもある。その根の国、黄泉国は出雲国とも熊野とも云われる。熊野大社の祭神の本来は、熊野川を遡った源流に鎮座する天河神社に祀られる天照大神荒魂であった。また、木俣神でもある、この出雲の多喜妓比売命は、出雲国内で様々な名前に変化する。それは天甕津日女命でもあり、天御梶日女命とも、綾門日女命にもなり、後に宗像に影向した滝神でもあった。この出雲の神の変化の詳細は後に書く事として、天の川そのものが滝神と深い関わりがある事がわかった。その天の川の源流は、北天から流れ落ちる滝の意識から始まっているようである。
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