佐々木君の隣家の三五助爺、オマダの沼という処へ行って釣りをしていると、これも青い小蜘蛛が時々出て来ては貌に巣をかけてうるさかったから、その糸を傍の木の根に掛けておいた。すると突然、その根株が倒れて沼に落ち込んだという。また小友村四十八滝のうちの一の淵でも、土淵村の人が釣りに行っていたら、同じような蜘蛛の糸の怪があったそうである。よく聞く話であるが、村の人達はこうしたことをも堅く信じている。
「遠野物語拾遺184」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
蜘蛛をコブと呼ぶ地域が全国に有り、岩手県も含まれている。これは、腫れた意の瘤と同じであると。ダニが血を吸ってお尻が膨れるのと同じ感覚で、蜘蛛の体形が瘤だと表しているようでもある。
「宇治拾遺物語」に掲載されている
「こぶ取り爺」の話は、歳を経た爺様に瘤が出来ているのだが、これは同じく歳を経た樹木が、ボコボコの瘤が出来て異形な樹木になる事に影響を受けている様である。岩手県では、ブドウ球菌によって根のある固くなった腫物を根太(ネクモ)と呼ぶが、要は蜘蛛と同じ意味となる。そして、根のある切り株もまた根太とも呼ぶようである。となれば、この「遠野物語拾遺184」で木の根株そのものも、蜘蛛の体の一部であるとの意を含んでいるか。
蜘蛛の糸が顔に付くのは不快を覚えるが、蜘蛛にとっては生きる為の命綱でもある。ただ蜘蛛の狩りは、待ち伏せしての狩りである為に陰湿な生き物とされ、女性的とされる。その中でも女郎蜘蛛は悪意の代表となっている。その女郎蜘蛛は男を狩ると云うが、三五助爺を襲った蜘蛛は、もしかして女郎蜘蛛であったのか。
ところで、オマダの沼に釣りに行ったと記しているが、佐々木喜善の住む山口部落から、オマダの沼は和山の赤柴という遠い地にあるので、現実的な話ではない。ただ堺木峠沿いである為に、そのオマダの沼での話が伝わって来たものであろう。また、小友村での話は、藤沢の滝ではなく平笹の滝の方であるようだ。