これは田ノ浜福次郎という人の直話である。この人の若い頃、山の荒畦畳みに行った。当時山に悪い熊がいたが、これを見かけしだいに人々が責めこざして、ますます性質が獰猛になっていた。ある日のこと、いきなりこの熊が小柴立ちの中から現れて襲いかかった。その勢いにひるんで、思わず大木の幹に攀じ登ると、熊も後から登って来た。いよいよ上の枝、上の枝と登って行けば、熊もまた迫って来る。とうとう、詮方なく度胸をきめ、足場のよい枝を求めて踏み止まり、腰の鉈を抜き取って、登り来る熊の頭を、ただ一割りと斬りつけた。ところが、手許が狂って傍らの枝をしたたか切った。幸いそのはずみに、熊はどっと下に堕ちて行った。しかし今度は木の根元に坐ったまま、少しも動かずに張番をしている。木の上の者にはこれをどうする訳にも行かず、気を揉んでいるうちに早くも夕方になり、あたりが暗くなるにつけて、自分も生きた心持は無い。その時にふと考えたのは、いかに執念深い獣だとはいえ、朝からこの時刻まで少しの身動きもせずにいるのはおかしい。何か理由があるのだろうと。試みに小枝を折って投げ落して見たが、熊は元のまま微動だにしない。これでやや気が楽になって、今度はかなり太い枝を切って投げ下し、熊の頭に打ちつけて見たが、やはり結果は前と同じであった。これこそおかしいと思い、大声を出して熊の馬鹿などと罵ったが、それでも少しも感じぬ様子である。いよいよ度胸を据えて、おそるおそる幹から降りて行って見ると、熊は死んでいた。不思議に思って、その屍体を転がしてよく見ると、尻の穴から太い木の切っちょぎが衝き刺さって、膓まで貫いていた。これは木から落ちた時に刺さったものであったという。偽の様な、しかし本当にあった話である。
「遠野物語拾遺211」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「遠野物語99」で、妻を津波に奪われ、その妻の魂をも心通わせていた男に奪われた愛称"福二"、正式には福次郎が、ここに登場している。
「荒畦畳み(あらくたたみ)」は、焼畑の開墾作業の下ごしらえで、「畳み」とは畝を作る事である。山に行ったとあるが、どこの山かはわからない。ただ通常"山"と呼ぶのは里山であり、目の前に見える山の事を言う。それ以外の山は外山と呼ぶ事から、悪い熊がいる山とは、里に隣接している山であり、里にも被害があったのではなかろうか。何故なら
「責めこざして」というのは、手負いの熊であるという意味になる。恐らく、この熊を退治しようと失敗し、熊そのものが人間に恨みを持ったのだろう。昔、北海道の函館本線の特急に乗った時、隣り合わせになった方が、北海道の自然保護協会の会長であった。その方から聞いた話によれば、熊にも性格が様々あるのだと。例えば、熊除けの鈴音を聞いて、逃げる熊もあるが、好奇心旺盛な熊や、人に恨みを持つ熊は寄って来るのだと言う。
この話は本当にあった話であると念を押しているが、他でも聞いた事のある話である。遠野で法螺話をする者を"ひょうはくきり"と呼ぶ。福次郎もまた、ひょうはくきりであったか。