これは浜の方の話であるが、大槌町の字安堵という部落の若者が、夜分用事があって町へ行くと、大槌川の橋の袂に婆様が一人立っていて、誠に申しかねるが私の娘が病気をしているので御願いする。町の薬屋で何々という薬を買って来て下されと言った。多分どこかこの辺にいる乞食であろうと思って、見かけたことの無い婆様だが、嫌な顔もせずに承知してやった。そうして薬を買い求めてこの橋のところ迄来ると婆様は出て待っていて非常に悦び、私の家はついこの近くだから、是非寄って行ってくれという。若者もどういう住居をしているものか、見たいようにも思ってついて行くと、岩と岩との間に入って行って、中にはかなり広い室があり、なかなか小奇麗にして畳なども敷いてあり、諸道具も貧しいながら一通りは揃っていた。病んでいるという娘は片隅に寝ていたが、若者が入って行くと静かに起きて来て挨拶をした。その様子が何とも言われぬほどなよなよとして、色は青いが眼の涼しい、美しい小柄な女であった。その晩は色々もてなされて楽しく遊んで帰って来たが、情が深くなると共に若者は半病人の如くになってしまった。朋輩がそれに気がついて色々尋ねるので、実は乞食の娘とねんごろになったことを話すと、そんだらどんな女だか見届けた上で、何とでもしてやるからおれをそこへ連れて行けというので、若者も是非なくその友だちを二、三人、岩穴へ連れて行った。親子の者はさも困ったような風ではあったが、それでも茶や菓子を出してもてなした。一人の友だちはどうもこの家の様子が変なので、ひそかにその菓子を懐に入れて持って来て見たが、それはやはり本当の菓子であったという。ところがその次とかの晩に行って見ると、娘は若者に向って身素性を明かした。私たちは実は人間では無い。今まで明神様の境内に住んでいた狐だが、父親が先年人に殺されてから、親子二人だけでこんな暮しをしている。これを聴いたら定めてお前さんもあきれて愛想をつかすであろうと言って泣いた。しかし男はもうその時にはたとえ女が人間で無かろうとも、思い切ることは出来ない程になっていたのだが、女の言うには私もこうしていると体は悪くなるばかりだし、お前さんも今に嫌な思いをすることがきっとたびたびあろうから、かえって今のうちに別れた方がよいと言って、無理に若者を室から押出したという。それから後も忘れることが何としても出来ぬので、何べんと無く岩のある処へいって見るけれども、もうその岩屋の入口がわからなくなってしまった。それであの娘も死んだであろうと言って、若者が歎いているということである。この話をした人はこれをつい近年あった事のようにいった。その男は毎度遠野の方へも来る兵隊上がりの者といっていた。
「遠野物語拾遺200」
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この「遠野物語拾遺200」の話を読むと全体的に、キツネの語源となったと云われる
「日本霊異記」の狐女房の話を思い出す。女房の正体がキツネと知っても、子供を作った仲であるからと、キツネ女房を責める事はしなかった。人間とキツネでありながら、情で絆が結ばれる話が共通しているだろう。人間と狐との情愛を伝える狐女房の系譜が、この「遠野物語拾遺200」にも、伝わっているのが理解できる。
男と婆様狐の出逢いは、橋の袂となる。これは、川を渡す橋が、異界との境界である事を意味する。俵藤太が大蛇の化身と出遭ったのも、瀬田の唐橋の袂であった。そして、この橋は、大槌川に架かる安渡橋であろうとされる。話の最初に出て来る地名"安堵部落"とは、今では安渡という地名らしいが、本来の安堵が何故に付けられたのか興味がある。その安堵の地から奥には、二渡稲荷神社があり、明治29年の津波記念碑がある大徳院(曹洞宗)がある事から、もしかして津波の及ばない地の意味で、安堵であったろうか。そして、岩屋に住む前の狐の親子は、明神様の境内に住んでいたと告白しているが、それは二渡稲荷神社であったろうか。

ところで、この話に登場する狐は、野狐という事だろうか。江戸時代に野狐は、次のように定義されている。
「疑い深い性質で日の光を恐れ刃を嫌う。ものを守らせると、一旦は信を失わぬものの、飽きてしまうとこれを忘れる。愚かな人を誑かして物を奪う。気を察知すると人に近付くことはない。牛馬の骨を得なければ化けることができない。位を望むということは未だ詳らかではない。」と。
この定義を「遠野物語拾遺200」に重ねて見ると、確かに狐の親子は夜にしか人間界に姿を現さず、日中は岩屋の中に潜んでいる。そして人間に化けるという事から、牛馬の骨を得ているのか。古代中国では、人間に化ける狐は頭の上に、人間のドクロを載せて化けるのだが、ここでの牛馬の骨とは、どう変化してのものだろうか。気になるのは
「一旦は信を失わぬものの、飽きてしまうとこれを忘れる。」とは、狐は畜生であると定義しているようなものだ。畜生は、恩を忘れる、覚えていないと云われるのが、ここにも組み込まれている。しかし、ペットで飼う犬や猫もそうだが、一度人間と接して餌を貰った狐は、その人間を頼って、再び訪れる。何度も出逢えば、人間も狐も互いに愛着を感じるのが自然の流れであろう。
実は、一番気になる箇所が、一番最後である。
「その男は毎度遠野の方へも来る兵隊上がりの者といっていた。」と。大槌と遠野は、釜石よりも交流が深く、大槌と遠野で、よく婚姻が決まっていたそうである。この前知り合った、大槌町の神社の別当である女性は、宮守から嫁いだという事である。そういう事から、大槌から遠野に人が来るのは何等問題が無いのであるが、
「ものがたり青笹」には、兵隊上りの男にに化けていた狐の話が紹介されている。この大槌の兵隊上りの男が、実は狐であったならば、いろいろ話は繋がるのだが・・・。
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