昔小友村に狼という綽名の人があった。駄賃附けが渡世であるいていたが、ある日同村団子石の箒松という処まで来ると、向うから士が一人来て、引掛け馬をしてあるくのはけしからぬ。手討ちにしなければならぬと威張るので、平身低頭してあやまっていたが、そのうちにどうかして居睡りをしてしまった。ふっと気がついて見ると団子石の上から一匹の狐が馬の荷へ上って行くところであったから、ひどくごせを焼いてどなりつけてぼったくった。そして魚は一尾も取られなかったそうである。
「遠野物語拾遺198」
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取り敢えず、文中の
「ひどくごせを焼いてどなりつけてぼったくった。」を訳すると
「酷く怒り、怒鳴りつけて追い払った。」となる。
また
「引掛け馬」とは、複数頭の馬を曳く事である。峠越えの駄賃付けが盛んだったのは藩政時代で、それが明治以降も引き継がれ盛んだったが、軽便鉄道の開通と共に、駄賃付けは幕を引いた。道産子などの巨大な馬がいるが、駄賃付けが盛んだった馬の大きさは四尺五寸(145センチ)あれば大きい方だったそうである。体重も七十五貫(約280キロ)あれば重い方であったと。現在の競走馬の馬体重が500キロ前後で、400キロを切れば小さな馬となる事から、この時代の駄賃付けの馬は、今の感覚であればかなり小さな馬となるのだろう。そういう小さな馬にも、炭俵なら一俵六貫目(約22.5キロ)を六俵背負わせていたそうである。それを一人の馬子が通常三頭~四頭の馬を曳いていたというから、ここでの「引掛け馬」に対して怒る理由がわからない。
これも狐に騙された話になるのだが、小友町の団子石とは、鷹鳥屋地区に団子石という屋号の家があるので、恐らくその近辺の事であろう。遠野の町へと向かう土室峠の近くである為、この駄賃附けは遠野に向おうとしていたのか。峠近くという事であるから、村外れの場所でもあり、狐がよく出る場所であったろう。この騙されそうになった男の綽名が狼である事から、狐に騙された狼というとグリム童話を思い出しそうだが、ある意味洒落で作られた話ではなかろうか。