金沢村は白望の麓、上閉伊郡の内にても殊に山奥にて、人の往来する者少なし。六七年前此村より栃内村の山崎なる某かゝが家に娘の聟を取りたり。此聟実家に行かんとして山路に迷ひ、又このマヨヒガに行き当りぬ。家の有様、牛馬鶏の多きこと、花の紅白に咲きたりしことなど、すべて前の話の通りなり。同じく玄関に入りしに、膳椀を取出したる室あり。座敷に鉄瓶の湯たぎりて、今まさに茶を煮んとする所のやうに見え、どこか便所などのあたりに人が立ちて在るやうにも思はれたり。茫然として後には段々恐ろしくなり、引返して終に小国の村里に出でたり。小国にては此話を聞きて実とする者も無かりしが、山崎の方にてはそはマヨヒガなるべし、行きて膳椀の類を持ち来り長者にならんとて、聟殿を先に立てゝ人あまた之を求めに山の奥に入り、ここに門ありきと云ふ処に来たけれども、眼にかゝるものも無く空しく帰り来りぬ。その聟も終に金持になりたりと云ふことを聞かず。
「遠野物語64」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「小国にては此話を聞きて実とする者も無かりしが」と書き記している事から、小国村ではマヨヒガに対する認識が無く、土淵村では、その認識が強い事が理解できる。だが、「遠野物語63」でのマヨヒガの話は小国村での話となっているのだが、実際はその小国村のマヨヒガの伝説は伝わって無いという。そして金沢村でも同じくマヨヒガの伝説は無く、あくまで土淵村だけに伝わるのがマヨヒガであるようだ。白望山を中心として土淵村が西に位置し、小国村は北に位置し、金沢村は東に位置している。南側だけは山々が続く為に白望山からかなり離れてしまう事から、マヨヒガの話が伝わる筈も無いか。では何故にマヨヒガは、遠野の土淵村だけに伝わるのだろうか?
松橋暉男「遠野上郷大槌物語」を読むと"家"の読み方が記してあった。
「大槌では屋敷っていえば、代官屋敷のことを指しそれ以外はみんな「家(や)」」と呼ぶのがならわしなんすよ。」と。例えば小槌川沿いに南部を名乗る家があり、それを南部家(なんぶや)と呼んだそうだ。南部家(なんぶけ)と呼べば、南部藩の家系か?と勘違いする為、あくまで屋号としての南部家であったのはわかる。それは大槌だけではなく、遠野でもそうであろう。
そこで疑問なのは「マヨヒガ」が「迷い家」と訳される事だ。一般的に家が「や」であれば、単純に「マヨヒヤ」と呼ばれるのではなかろうか。それが「マヨヒガ」と呼ぶというのは、単に語呂合せからきてるわけはないだろう。
「注釈遠野物語」には、「今昔物語」に記される「迷神」との関連性も指摘している。ただ「今昔物語」巻27「左京属邦利延、迷はし神に値ふ語、第四十二」を読むと、マヨヒガの話とは違い、狐に化かされたような内容であった。だが狐の化かす話にも、人を家に招いてもてなす話も多い事から、マヨヒガも狐に化かされた話だとしてもおかしくはないだろう。
「ガ」の訓だが、確かに古代の氏族である大神氏は「おおみわ」もしくは
「おおが」と読む。九州の宇佐神宮に関係する大神氏などが有名だが「神」は「ガ」と読む場合が多々ある。そういう意味では「マヨヒガ」が「迷ひ神」として、人を惑わす神だとしても違和感はない。ただし「今昔物語」での「迷神」は「まどわしかみ」と訓ずるようだ。しかし、「惑わす」とは相手の判断や考えを混乱させ欺く意でもあるので「惑わす」も「迷わす」も同じであろう。山中に登場する、有る筈の無い家に遭遇した時、それを見た者がどう判断するのか。ある意味、神の与えた試練の様にも思える。聟が一人の場合にマヨヒガが現れ、大勢で行くと現れないのは、聟の判断が間違っていたという事だろう。「遠野物語63」を読んでも、あくまでマヨヒガは、一人の時に現れるものであり、その人なりの判断を惑わせる為の試練のようでもある。ただし、現れたマヨヒガの家から何かを持ってくるよりも、何も持たずに帰った者の方が、幸運が寄ってきている。この「遠野物語64」の聟は、その幸運を待ってないで、大勢を引き連れてマヨヒガ探しをした為に、神にそっぽを向かれたのかもしれない。
ところで、先に紹介した松橋暉男「遠野上郷大槌物語」でもマヨヒガについて書いているが、それはマヨヒガとは「はぐれ家」の意味だと断定しており
「群れからはぐれた家、つまり、人里はなれたところにある家 隠れ住まいした家のことである。」と。具体例として金沢村の更なる上の長井集落がそうであったと書いている。明治の初めに人家調査の役人が勝手な判断から金沢村の上にはもう人家は無いだろうと、役人の怠慢から「はぐれ村」になってしまったそうな。しかし、「はぐれ家」と「マヨヒガ」とは、やはり違うであろう。これが土淵にしか伝わらない伝承であるならば、土渕にそれを伝えた者がいるという事になる。菊池照雄氏が指摘しているが、朱塗りの椀文化は秦氏から来る木地師のものであった事から、やはり朱塗りの椀文化の無い遠野にマヨヒガ伝説を持ち込んだのは、木地師ではなかろうか。
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