早池峯神楽に、鶏舞というものがある。頭に鳥兜を被って舞うのだが、その鳥兜に鶏の絵が施されている。調べると、山神に五穀豊穣、国家鎮護を願って舞う神事の一つであるようだ。修験が入り開発された早池峯であるが、その修験の祖である役小角から始まった修験道の本尊は、蔵王権現とされる。弥勒菩薩は釈迦の入滅後、五十六億七千万年経つと鶏頭山に出現して末世となった世を救って衆を導くという末法思想が平安中期より広がり、修験道の山伏が蔵王権現こそが、この世に現れた弥勒菩薩の化身であると煽った。その弥勒菩薩に法衣を渡す為、大迦葉が入定した地を鶏足山であるという。修験が末法思想を修験に取り込んで、弥勒と蔵王権現を結び付けたのだが、弥勒は巳六と暗に云われる様に、どことなく蛇の匂いがしないでもない。
早池峯の西側に鶏頭山があり、また前薬師と呼ばれる薬師岳もまた「遠野物語」では鶏頭山と呼ばれたとある。とにかく、この鶏頭山という山名は、日本の中で何故か早池峯連峰にしかない。鶏足山は日本国内にいくつかあるのだが、この弥勒に関わる鶏頭山という山名が早池峯周辺にあるというのは、どういう事だろう。そして鶏足山だが、気になるのは鈴鹿に三本足の鶏が現れたという鶏足山があり
「平泉志」によれば、平泉には鶏足洞があるという。ここで思い出すのは、鈴鹿と平泉を繋ぐ洞窟の伝承だ。それはもしかして、鶏足山との関係があるのだろうか?これほどの意味を持つ鶏頭山という山が、何故に早池峯連峰にあるのか考えてみるべきであろう。
古代中国の
「五雑俎」には、竜の爪は鷹に似せて描くと記してある様にと記されているように、想像上の竜の絵とは、蛇と鷹が結び付いている。阿蘇山の山神をモチーフを意識して家紋にデザインされたのが菊池氏に伝わる鷹の羽である。しかし、阿蘇山に祀られる神とは竜蛇神である。それは恐らく、孔雀明王経を会得して山に入った役小角によって、龍蛇神を調伏する蛇を喰らう鳥が重視され、その影響を受けたのだろう。県内の菊池神社に祀られる神は、水神である蛇神の彦神と姫神であった。これはそのまま阿蘇の蛇神に繋がるものであろう。そしてその阿蘇山の水神である蛇神を調伏する為に、菊池氏は鷹の羽を家紋に取り入れたのではなかろうか。その蛇神を抑えて喰らう孔雀、鷹、その同列に鶏も加わるという。実際に分類上、孔雀は鶏の近類であり、鶏もまた蛇を喰らうようである。
今でこそよく見る白鶏は、古代では貴重だったらしく、その為に神の使いとされた。その鶏の鶏冠は焔の象徴ともされるのだが、水神の支配する山に焔の鶏を配するのは、陰陽の和合となる。神道世界で神の御前においては決して右を前に出さないという取り決めがある。神前に進む場合、常に左足を前に出して、右足はその左足より前へ出してはならないという。左は火であり、右は水を意味する。つまり左を前に出すという事は、左を捧げる。つまり、火を捧げるという意味になる。
遠野で有名な縁結びで有名な卯子酉神社は、赤い布切れを奉納する。元々この卯子酉様は水神が祀っていたらしい。つまり、水神に対して、血の色でもあり火を意味する赤色を奉納するという事は、水と火の融合であり、陰陽の和合となる。だからこそ、縁が結ばれるのだろう。
考えて見よう、修験道は弥勒の化身が蔵王権現であり、それが鶏頭山に出現するとした。それは修験道の観点からいけば水と火の融合を意味していると考えれば、早池峯連峰の鶏頭山もまた同じ事を意味して名付けられたのではなかろうか。更に加えれば、鶏は死体を発見するものとして使われたという。しかし死体は陰陽五行で"土"を意味する。土から発生するものは"金"である。鶏は夜明けを感知して鳴く鳥ではあるが、金を見付けて鳴く鳥でもある事を考慮に入れた方が良い。
始閣藤蔵は、遠野から金が見つかったら社を建てると早池峯の神に誓い、それが成就した為に早池峯の山頂に奥宮を建てた。早池峯の七不思議に、鶏頭山から聞こえる鶏の鳴声というものがある。これは、早池峯に立ってこそ聞こえる鳴声であろうから、金を求めた始閣藤蔵の意識を伝説化したものであったろうか。そして、鶏頭山を連峰に持つ早池峯を信仰した奥州藤原氏の拠点に鶏足洞があり、鈴鹿山との繋がりを考えれば、いかに早池峯大神の神威を意識しているかわかるというもの。これらもまた、修験者が作り上げた図式の一つであろう。