遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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瀬織津比咩の封印(其の二)

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山や池・沼には竜宮への入り口があると云われるのは、かなり古くから存在する。これは、水神が山神でもあり、その本質は祖霊神である事は学者の共通する見解でもある。「遠野物語拾遺23」には、松崎沼に竜宮から来た鐘が沈んでいると記されている。神奈川県の円照寺に伝わる古鐘は、文政年間に海から引き揚げられた鐘であると伝えられている。その奥書には、彼岸の中日に死者供養の目的で竜宮城に棲む海神に鐘を捧げる為に海中に鐘を投じたらしい。鐘の音は、異界とこの世を繋ぐ呪力を持つと信じられていると共に、竜宮城に棲む龍神は祖霊神であると信じられていたからである。この観念は、そのまま遠野の早池峯山の神にも通じる事である。松崎沼の畔には、沼の御前が祀られており
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竜宮戸釣鐘を結ぶ有名な話は「俵藤太絵巻」である。滋賀県大津市の園城寺は、境内の霊泉で天智天皇・天武天皇・持統天皇の三天皇が誕生の時に産湯を組んだ事から御井(三井)の寺と称される様になった。その三井寺を舞台にする話が「俵藤太絵巻」である。俵藤太が大百足退治の御礼に竜宮から貰った物は、黄金造りの鎧と太刀に加え、釣鐘であった。それは、朝敵を倒す為に竜宮から貰った事になっている。俵藤太はその釣鐘持っているわけにいかず三井寺に寄贈したのだが、恐らく祭祀具であった銅鐸と同じ意味を持つのではなかろうか。つまり、竜宮と交信し、その力を得る為の役目として俵藤太に釣鐘が寄贈されたのだろう。そして、その後に俵藤太は、朝敵となった平将門を倒している。しかし龍神思想は中世になってからであり、それ以前は蛇神の単独であった。
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海のサメや海蛇の害を避ける為に豊後の尾形は、尻尾に入れ墨をし、筑前の胸形は、胸に入れ墨をし、安曇は安曇目といって、目に入れ墨をした。遠野にも不動明王の岩から現れた大蛇が三分割にされた祀られているが、それが各々頭(蛇の舌出し石)・胴体(続石)・尻尾(蛇尾石)であるのは、古代の海人族の習俗が遠野まで辿り着いた為だろう。つまりこれは、三分割して祀る事がより効果的であると考えられたからだろう。海人族達の入れ墨もまた、そのサメであり海蛇を三分割にして、その力を弱める呪術であったようだ。確かに一匹の蛇が三分割にされれば、一つ一つの体のパーツは蛇の生命力から動く事はあっても、もう人間の脅威にはならない。蛇神を三分割にするとは、力を弱める事であった。これと同じような話が「古事記」に記載されている。天照大神と素戔男尊の誓約の場面である。1本の剣を噛み砕いて狭霧として吹いて誕生したのは宗像三女神である。つまり単純に言い換えれば、元は一本の剣であった。剣はしばしば蛇の象徴としても伝えられるように、宗像三女神もまた三分割にされた蛇であり、本来は強力な一体の蛇神であったと推測される。
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全国各地に伝承されている様々な民俗芸能があるが、その本質は災害の根源であると信じられた御霊を鎮める為であるようだ。神は祟りを為す荒ぶる神であるとする宗教観念は、古代よりずっと続いていた。調べれば、古代に現世利益などは有り得なく、神はただ、一方的に祟る存在でしか無かった。御霊信仰もその古代の一つの観念だが、その中心となるのは荒魂であるという。荒魂こそ、祟り神の代表であった。どうもその中心とされたのは、伊勢神宮の荒祭宮に祀られる荒魂であるよう。伊勢神宮の荒祭宮に祀られるのは、天照大神の荒魂である、水神である瀬織津比咩となる。「エミシの国の女神」によれば、朝熊山が伊勢神宮の奥宮にあたり、そこに祀られている神は、伊雑宮、瀧原宮、そして荒祭宮と同一神であるという。以前、長谷寺を調べると、本来の地主神は水神である九頭竜であり、山の奥に追いやられていた。それと同じ形が、長野県の戸隠神社でも九頭竜が封じ込められ、一緒に祀られる神は天手力雄神であった。古代、祟り神の荒魂は、武神などに脇を固められるか、奥へと追いやられ大事に祀られる。鹿島神宮も、現在の祭神である建御雷神よりも先に、本来神であった高房社に祀られる蛇神を先に祀らねばならないという取り決めは、その蛇神が祟り神の為であろう。鹿島神宮の武甕槌はあくまで蛇神を制御する為に祀られたに過ぎないだろう。
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突き詰めれば、原初の祟り神とは蛇神の荒魂であったという事。その荒魂とは、水神であり山神であった。その祟り神は、天災を引き起こす為、鄭重に祀らねば無かった。その見本となったのが、伊勢神宮であったのは当然の事だろう。伊勢神宮の荒祭宮に祀られる瀬織津比咩は、伊雑宮と瀧原宮にも祀られる。つまり、これも三分割祭祀と考えて良いのではなかろうか。そして古代の水神が山神であった事を踏まえ、伊勢神宮の奥ノ院である朝熊山に追いやられた荒祭宮の瀬織津比咩こそが、原初の水神であり祟り神であったのは、疑いの余地が無かろう。ただ「古事記」などにおいて、多くの水神が誕生した。それは原初の水神の姿をぼかしてしまう為だった。「古事記」で誕生した多くの水神の中で、山神と対応する水神は果たしてどれだけいるのか?水神であり山神である瀬織津比咩程の、強大な水神は「記紀」にはいない。つまり、瀬織津比咩の名は「記紀」から消されたという事は、その力を弱める為に分割したという事。

考えて見れば、世の中が陰陽で構成されていた中、古代中国では伏犠と女媧の二柱の蛇神から始まっている。「エミシの国の女神」にも記されているが、伊勢神宮の原初の神は、二柱の蛇神であったらしい。それが天照大神中心の祭祀に変ったのは、祭神の改編があったのは、疑いようのない事実であろう。水神である蛇神を降ろして、太陽神としたのは政治的理由があるだろう。しかし祟る蛇神を完全に抹殺する事は出来ない為、伊勢神宮の荒祭宮に荒魂として祀られたのが瀬織津比咩であろう。荒祭宮に瀬織津比咩が祀られたのは7世紀の皇極天皇の頃では無いかという説もあるが、本格的改編は、やはり天武天皇の頃であろう。それは、天智天皇と天武天皇の水神の扱いの違いから来るものと思えるが、これは別の機会に書く事とする。
by dostoev | 2015-02-06 13:03 | 瀬織津比咩雑記 | Comments(0)
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