ヨルダンでは、ISISに殺された日本人の為に追悼集会を行ってくれたのが、上の画像。
同じ頃、日本では官邸前で市民団体を名乗る連中が、歌と踊りで楽しそうに騒いでいたようだ。これは追悼の名の元に、安倍総理を糾弾する事でもあったらしい。世界では、ヨルダン市民と日本人市民の民度の差がクッキリと描かれた様にも紹介されている。
頻繁に官邸前デモでテレビでも紹介されるのは、この市民団体を名乗る連中で、ネット上では、何かあるたびに官邸前で騒ぐ連中であるから
「なんでも官邸団」と揶揄されている。上の画像は
共産党の池内さおり議員。安倍総理の顔写真らしきを太鼓の皮に貼り付け、それをドンドンと叩いてる姿を見て、フト思い出したのは一向宗などの行った踊念仏などだった。
一向宗は、鎌倉時代の浄土宗の僧・一向俊聖が創めた仏教宗派であり、江戸時代となり、幕府によって時宗に強制的に統合され、「時宗一向派」と改称させられた。その際立った特徴に踊り念仏があるのだが、その踊念仏の祖とも云われるのが、民間における浄土教の先駆者と評価される空也上人だ。京都に、その空也上人を本尊とする紫雲山光勝寺、別称「空也堂極楽院」があるのだが、安永九年(1780年)成立の
「都名所図会」には、その信仰の形態をこう記している。
「教化に任せ、妻子を具し、頭は有髪の俗体にして衣を着し、瓢を敲いて上人御作の和讃を諷ふて、寒中には夜々五三昧(葬場)・市中などを徘徊し、浄土往生の因を歓むるなり。いま空也堂の境内に八軒あり。鉢敲と称す。常に茶筌を製して業とす。」
今度、この市民団体が、京都の三条河原でISISに斬首された後藤氏の追悼会をするようだが、ネット上では、三条河原とは処刑や処刑後の晒し首が行われた場所であり、歴史上では、石川五右衛門、豊臣秀次と、その妻子側室侍女、石田三成や新選組の近藤勇などである。これらの歴史上の人物と重ねようとしての追悼会なのかは、よくわからない。ただネット上では、その常識を疑っているようだが、これが古代から続く踊念仏の思考からの行動であるならば、元々埋葬地でも同じような事をしてきた踊念仏の連中であるから、今回の左翼市民団体の思考は、まさに踊念仏をそのまま行っているようでもある。織田信長が一向宗に苦しんだように、現代の自民党安倍政権も、一向宗に似た様な連中の反発にあっているのは、時代は変わり、為政者の形式が変わっても、似た様な者達がわき出て来るのは、日本の風土がそうさせているのだろうか?そもそも、国が荒れると、それは為政者の仕業とされ、古代中国では皇帝が殺された事もあった。また、壬申の乱後の天武天皇も統治が上手くいかず、多くの天変地異が発生したのを自らのせいとした様にも見受けられる。そして世の中は、そのトップを糾弾するものだ。社会党村山政権下においての阪神大震災、民主党菅政権下においても、東日本大震災が発生し、どこからともなく天に嫌われた政権であるという声がちらほらと聞こえた。そして今回、ISISに日本人二人が殺されたのは、何故か安倍総理のせいだと騒ぐ面々。元々、人のせいにする文化が日本にはあったといえ、この論点はあからさまに間違っている。左翼市民団体が踊り念仏と同じ観念の上に立つのかどうかは、疑問に思える。
パスカル「パンセ」には
「人は宗教的信念をもってする時ほど、徹底して悪を行うものである。」という言葉が、ISISにも左翼の市民団体にも重なるのは、どうしてだろうか?