佐々木喜善は、小学校に現れた座敷ワラシの事を、大正三年六月号
「郷土研究」に、こう書いている。
「明治四十三年の夏七月頃陸中上閉伊郡土淵村の小学校に一人の座敷ワラシが現れ、児童と一緒になって遊び戯れた。但し尋常一年の小さい子供等の他には見えず、小さい児がそこに居ると言っても大人にも年上の子にも見えなかった。遠野町の小学校からも見に往ったが、やっぱり見た者は一年生ばかりであった。毎日のやうに出たと云ふ。」
座敷ワラシは、子供達が遊んでいる中に、知らないうちに紛れ込んで一緒に遊ぶと云われている。これは、生前他の子供等と遊ぶ事の無かった子供の魂が、そうさせるのだろうとも云われている。一つの説では、金持ちの屋敷には奥座敷があって、外に出したくない不遇の子供が軟禁されていたという。現在70半ばの某さんは、子供の頃に賀茂神社には怖い狐がいるから、暗くなる頃には行っちゃダメだと言われていたそうな。ところが、ある夕暮れ時に、たまたま賀茂神社の近くに居たところ「ウォ~ッ!!!」という恐ろしい叫び声が聞こえたので、狐が出たと思って逃げ出したという。後で聞くと、その賀茂神社側にある家の奥座敷に、不遇の子が居て、たまに大声で叫ぶのだという事を知ったそうである。
子供の仕事は遊びと云われる様に、遊ぶ事が楽しい事で有り、夢中になれるものである。座敷ワラシが子供達の輪の中に入り込むというのは、やはり座敷ワラシは子供の魂を持った存在であるという事だろう。座敷ワラシ譚を調べていると、そうそう屋敷内では姿を見かける事は、まず無い。座敷ワラシが、その屋敷から出て行く時の方が、目撃される場合が多いくらいだ。しかし、その座敷ワラシを小学校内では毎日でも見ると、佐々木喜善の報告に書かれている。
また、佐々木喜善の調査では、遠野小学校がまだ南部家の米蔵を使用していた時の事であるが
"夜の九時頃になると、玄関から白い衣物を着た六、七歳くらいの童子が入って来て、教室で机や椅子の間などを潜って楽しそうに遊んでいた"という。ただし、その当時では
"子供の幽霊"が出るという噂であったらしい。
上の画像での南部の米蔵は
「蔵所」と記された場所で、現在で言えばアエリア遠野の場所であろうか。
上の図は、大正6年に建てられた遠野小学校の地図である。つまり、それ以前の南部の米蔵が置かれている場所は開発され、それが大正6年から昭和12年まで続いた。その後に、再び遠野小学校は建てられるのだが、少し気になる事がある。遠野小学校にトイレの花子さんが現れるというものだ。戦前に、郁子という名の少女が殺された話は事実として伝わるが、それ以前から遠野小学校には、子供の幽霊が出るという噂が流れていた。また佐々木喜善は、その遠野小学校の子供の幽霊を
「それも多分座敷ワラシであったらうと思ふ。」と「郷土研究」で述べている。となれば、遠野小学校が発祥とも噂されるトイレの花子さんそのものも、子供の幽霊か座敷ワラシであったのだろうか?いやそれよりも、座敷ワラシそのものの本来の居据わる場所は、長者などの屋敷では無く、こういう学校の様な子供が集まる場所となるのではなかろうか。
確かに、現在のアエリア遠野と市民センターの敷地にあった、遠野小学校には幽霊話はあった。「遠野物語」を読んでいても、幽霊なのか狐狸の類の仕業なのか、それとも座敷ワラシの仕業かわからぬ曖昧な話はある。当然、近代化が進む遠野において、座敷ワラシという意識が薄れてきた戦後の時代に現れる子供の姿は、子供の幽霊と思われても仕方がない。昭和40年代半ば過ぎてから、遠野でも観光に力を注ぎ始めてから、再び座敷ワラシなどに対する認識が高まったに過ぎないからだ。とにかく佐々木喜善の見解では、小学校に現れる子供の幽霊らしきは、座敷ワラシとなってしまう。つまり、本来の座敷ワラシが求めるものは、他の子供との遊びであり、長者などの屋敷に行くのは、子供のかくれんぼみたいな遊びの一つである可能性もあるのだろう。遊び終えたら、家に帰るのが子供だ。その子供と同じように、座敷ワラシが屋敷からいなくなるのは
"遊び飽きた"というのが本来なのかもしれない。そして、座敷ワラシに遭おうと思うのなら、子供達の遊ぶ中を探すというのが正しいのかもしれない。ただ、佐々木喜善の調査でもわかるように、小学一年生にはその姿が見えただけというのは、まだ人間の子供が神の子の範囲である七歳までという事になるだろう。
これは平成の話だが、遠野のある場所で車に乗った子供が家の中に手を振っているので両親が子供に対して
「誰に振ってるの?」と聞いたところ
「窓から覗いている小さな子供に。」という答えが返って来た。しかし、その家には小さな子供はいなかった。その小さな子供が座敷ワラシであるならば、やはり座敷ワラシが寄って来るのは、子供に対してが一番なのだろう。つまり学校や幼稚園が、座敷ワラシを見付けるのに一番可能性が高い場所という事だろうか。