大正十五年の冬のことであるが、栗橋村字中村の和田幸次郎という三十二歳の男が、同じ村分の羽山麓へ狩りに行っていると、向うから三匹連れの大熊がのそのそとやって来た。見つけられては一大事だと思って、物陰に隠れて見ていると、三匹のうちの大きい方の二匹は傍へ行ってしまったが、やや小さ目の一匹だけは、そこに残って餌でもあさっている様子であった。さっそくこれを鉄砲で射つと、当り所が悪かったのか、すぐに振返って立ち向って来た。二の弾丸をこめる隙もなかったので、飛びつかれたまま、地面にごろりと倒れて死んだ振りをすると、熊は方々を嗅いでいたが、何と思ったのか、この男の片足を取って、いきなりぶんと谷底の方へ投げ飛ばした。どれ程遠くへ投げ飛ばされたかは知らぬが、この男は投げられるとすぐに立ち直って二の弾丸を鉄砲にこめた。そうして悠々と向うへ立ち去る熊を、追い射ち倒した。肝は釜石へ百七十円に売ったということでこれは同年の十二月二十八日の岩手日報に、つい近頃の出来事として報導せられたものである。
「遠野物語拾遺210」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
三匹連れというのは、親熊と子別れ寸前の成長した小熊二匹の事だろう。残って餌をあさっている熊は小熊であろうが、罠にかかる熊とは大抵、こういう経験の浅い熊となる。飼犬や飼い猫を見ててもわかるように最初は好奇心からいろいろなものに興味を示すが、警戒心も強い為に、撃たれた人間に向う前に普通は逃げる筈だ。ましてや熊が人を掴んで投げるなど有り得ない話。
以前に、熊と遭遇して死んだ振りをして助かった爺様から話を聞いた事がある。死んだ振りをしていると、やはり熊が寄ってきてクンクンと臭いでいたという。そして、前足で体をこするようにされていた後に、軽く甘噛みされたというが我慢していたら、熊は去って行ったそうな。まあこの話も、どこか誇張されている気がする。
熊の肝が百七十円で売ったと書かれているが、その当時の1円は現在の五千円相当になるので、百七十円とはだいだい85万円くらいになるようだ。
吉田政吉「新遠野物語」では江戸時代の熊の胆は享保小判三枚で、1年寝て暮らせたような話が書かれている。そういう意味では、年と共に熊の胆の価値が下がってきているのだろう。ただ「新遠野物語」では、明治時代になって
「文明開化は肉食から。」と政府が先頭に立って宣伝するようになってから、今まで獣肉を食べると穢れると思われた意識が薄らいだそうだが、なかなか獣肉を食べる者はいなかったそうだ。遠野の人間が肉を食べる様になったのは日露戦争以降の様で、町に肉屋が登場したのは大正時代になってからだというが、それでも冬季限定の商売であったようだ。結局、普通に肉が売られる様になったのは昭和の戦後であり、肉を食べていたのはごく一部の人達で、遠野の大半の人々の肉食の歴史は、まだ100年にもなっていないのが実情であるようだ。
「注釈遠野物語拾遺(下)」では、岩手日報の記事を探したようだが、この熊の記事は見当たらないと書いている事から、この話も猟師の作った自慢話なのだろう。それに尾鰭が付いて広まったのではなかろうか。
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