遠野町上通しの菊池伊勢蔵という大工が土淵村の似田貝へ土蔵を建てに来ていて、棟上げの祝の日町へ帰って行く途中、八幡山を通る時に、酔っていたものだからこんなことを言った。昔からここには、りこうな狐がいるということだが、本当にいるなら鳴いて聴かせろざい。もしいるならこの魚をやるにと言って、祝の肴を振りまわした。するとすぐ路傍の林の中で、じゃぐえん、じゃぐえんと狐が三声鳴いた。伊勢蔵はああいたいた。だがこの肴はやらぬから、お前たちの腕で俺から取って見ろと言い棄てて通り過ぎた。その折同行していた政吉爺などは、そんな事をいうものじゃ無いと制したけれども、何、狐如きに騙されてやってたまるものか。これでも持って帰れば家内中で一かたき食べられるなどと、大言して止まなかった。それが今の八幡宮の鳥居近くまで来た時、ちょっと小用を足すから手を放してくれというので、朋輩たちももう里になったからよかろうと思って、今まで控えていた手を放すと、よろよろと路傍の畠に入って行ったまま、いつ迄経っても出て来ない。何だ少しおかしいぞとそのあとから行って見ると、祝に著て来た袴羽織のままで、溜池の中へ突落されて半死半生になっていたという。これは同行者の政吉爺の直話である。
「遠野物語拾遺205」
土渕の似田貝から八幡宮へ向かう途中であれば、現在の遠野観光マップに載っている
「狐の関所」と呼ばれる場所が村外れであり、狐の出没する場所として認識されていた。ただ「狐の関所」とは一ヶ所では無く、町外れ、村外れの寂しい場所には狐が出ると云われていたし、実際に狐はいた。「注釈遠野物語拾遺」にも書いているが、
佐々木喜善「聴耳草紙」の
「狐の話(85番)」には
「遠野ノ町の付近で昔から狐の偉えものは、八幡山のお初子、鳥長根の鳥子、鶯崎のウノコ三疋であった。」という事から、この「遠野物語拾遺205」に登場する狐とは
「お初子」という事だろうか。

狐の関所から八幡宮の鳥居まで来るには、上の画像の道を通るのではなかろうか。既に八幡山の懐内であり、狐の縄張り内であるのだろう。同行している政吉爺は「遠野物語拾遺120」に登場している猟師であった事から、動物の恐ろしさなどを知っているからこそ伊勢蔵の言動に対して注意したのだろう。

昭和40年代頃まで、八幡宮の鳥居の辺りから道路を隔てた向かい側に溜池があった記憶がある。もしかして、伊勢蔵が落ちた溜池とは、そこであったろうか。

狐の関所から道路を隔てた向かい側は、田園地帯となるが、冬は一面真っ白な雪原となる。良く見ていると、、たまにその雪原を歩く狐を発見する事が出来る。狐は冬眠しない為、この狐の関所の悪戯も一年中あったという事だろう。ところで狐の鳴声だが、文中では「じゃぐえん、じゃぐえん」と表現されている。現代の日本での狐の鳴声の認識は「コンコン」とか「ケーン」というのが一般的ではなかろうか。しかし、実際に狐の鳴声と接すると、こういう「じゃぐえん、じゃぐえん」という鳴き方を聞いた事がある。この鳴声を聞いた時は5月の半ば頃で、夜に子狐が遊んで居る様を見ている時、近くにいた親狐の子狐を呼ぶ鳴声がこんな感じであった。つまり警戒した鳴声であったのか。ならば、伊勢蔵に対する警戒心から鳴いたのか、はたまた伊勢蔵に対して
「警戒しろよ!」と鳴いたのであったろうか。
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-23552311"
hx-vals='{"url":"https:\/\/dostoev.exblog.jp\/23552311\/","__csrf_value":"f70d15c9327f869759197af0c36f48a8adda8df6808d51343c7e61f7f37e6a04db10172448ca4428849b856857ceaa53ce2ecfc4897b4468b603c1e7177e7c2a"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">