小国村字新田の金助という家の先祖に、狩人の名人がいた。ある時白望山の長者屋敷へ狩に行くと、一人の老翁に行逢った。その老人の言うには、お前がマタギをしたのでは山のものが困るから止めてはくれぬか。その代わりにこれをやるからと言って、宝物をくれた。それからは猟を止め、現在でもこの家の者は鉄砲を持たぬということである。この辺の土地はまったくの山村で、耕すような地面も無く、狩を主として生計を立てているのに、これを止めると言うのは、よくよく深い理由があったのだろうという。
「遠野物語拾遺222」
山神の使いとして翁が登場しているが、八幡縁起でも老翁が登場し、その後に少童に変化している場合もある。例えば猟師である旗屋の縫の逸話の中で、少童が旗屋の縫を導いて助けた話もある事から、神の使いは翁であり、少童であるという年齢の両極端な存在である場合が多々あるようだ。
また長者屋敷だが、琴畑渓流沿いを上に登って行くと、広股沢への分岐点の地名が長者屋敷になるが、別に白望山の峰続きの山の名も長者屋敷と云う。小国からであれば、白望山の峰続きの長者屋敷という山が近いが、この話の場合は、どこの長者屋敷であるかは定かでは無い。
山神からの贈り物だが、山には竜宮がある、もしくは繋がっているという伝承が多く。山から竜宮の贈り物を貰い裕福になった話が多い。遠野では、例えば六角牛山の女神から貰った物は「遠野物語拾遺97」では明らかにされていないが、それを手に入れたら大力になったという。しかし、別に青笹に伝わる話では、六角牛山の女神から貰った物は「御ご石」であると書かれているが、これは「御子石」もしくは「巫女石」という名称であったのだろう。よく漫画などで自然の力を手に入れて、個人が大きな力を手に入れるような話があるが「遠野物語拾遺97」での話も似た様なものであろう。また、早池峯の女神から、ある物を貰った話も伝わっているが、それは何かは明らかにされていない。ただ六角牛山と同じに、力を得る様な話になっている。つまり、山神から貰うものは、人間社会では手にする事の出来ない、財か力かとなるのだろう。恐らく、この「遠野物語拾遺222」では生活に困らない為の財、もしくは財に成り得る物を貰ったという事にならないだろうか。
だが実際は、山神から何かを貰うとは有り得ない話。猟を止める理由となれば、鉄砲を維持出来なくなったという経済的理由、目が見えなくなったとの経済的理由、殺生が嫌になったという精神的理由がある。この話の場合も、これらの理由から来るのだろうか、対外的に山神の話を交えて伝えているのだと思える。