旗屋の縫は当国きっての狩の名人であったといわれているが、この名高い狩人から伝わったという狩の呪法がある。たとえ幾寸という短い縄切れでも、手にとってひろぎながら、一尋二尋三尋半と唱えて、これを木に掛けておけば、魔物は決して近寄らぬものだという。
「遠野物語拾遺221」
旗屋の縫の住んでいた畑屋地区には、旗屋の縫が崇敬していた千手観音を祀る観音堂がある。早池峰の秘仏に千手観音がある為、恐らく山神と結び付いての千手観音であったろうか。ところで、三途縄の詳しくは
「三途縄トイウモノ」に書いた。恐らく三途縄の呪術は、狩人筋からではなく、蹈鞴筋から伝わったものではないかとした。
ところで
「一尋二尋三尋半・・・。」と唱えると、短い三途縄が、まるで無限の長さになるような結界呪文であるのは、言霊の力から来ているのは理解できる。似た様なものに、土淵の常堅寺に置かれているオゾンズル様という仏像がある。オビンズル様は正確には賓頭盧尊者と書き表し、十六羅漢の第一の仏弟子であり、涅槃に入らず、摩梨山に住んで衆生を救うと云われる。
この常堅寺のオビンズル様もそうだが、全国的に自分の体の痛い箇所を撫でて願うと、その箇所の痛みが和らぐとされている。ただ遠野のオピンズル様独自は、
「重くなれ」と唱えると重く感じ、
「軽くなれ」と唱えると軽く感じるそうである。これも言霊の力なのだろう。しかし賓頭盧尊者を調べると、近江国・・・今の滋賀県に伝わる賓頭盧尊者は雨乞いにも使われたという。雨乞いもまた
「雨が降れ」という願いの言葉を唱えるものである。実は近江国の賓頭盧尊者は、小野流巫術の影響を受けたものであるらしい。この小野流巫術は、小野猿丸とも関係する。猿丸とは二荒山と赤城山に関係する大蛇と大百足の争いで、大蛇に味方したのだった。この二荒山の伝説と似た様な話も遠野に伝わり、 この猿丸の代わりとなっているのが旗屋の縫であった事を考えると、旗屋の縫の伝えた三途縄の結界呪法も、小野流巫術に関係するものであったか?
近江国で賓頭盧尊者を祀る随心院は、小野流密教の開祖・仁海僧正が寛文2年(1244)に開基した寺で、当初は曼茶羅寺と称し、如意観音が本尊であるという。如意輪観音とは如意宝珠を持つ観音であり、その如意宝珠の原型は「古事記」で海神から山幸彦が手に入れた潮ひる珠と潮みつ珠であるという。潮の干満を自在に操れる潮ひる珠と潮みつ珠の能力が後に、輸入された如意宝珠の概念と結び付き、稲荷狐の尻尾にくっついた自在性の高い珠である。その自在性の概念が言霊と結び付いたのが恐らく、小野流巫術の根底ではなかろうか。また小野氏は竜宮思想を信仰している事から、長いモノは蛇と結び付く事から、紐の自在性と蛇の自在性を結び付けたとの考えも成り立つか。そして加えるなら、その小野氏も蹈鞴筋であるという事だ。そしてその小野氏には霊界を自在に行き来したという小野篁がいる。これらの材料から、三途縄と小野氏の関係が深いものと考えざる負えないだろう。