
年末29日、30日に泊った客に
「31日は何処で年越をするのです?」と聞いたところ
「秋田です。」という答えが返ってきた。なんでも、ナマハゲを観に行くのだと。そして年明けの元旦には山形県に移動して、アマハゲを観るのだそうな。秋田のナマハゲも、山形のアマハゲも呼び名は違うが、似た様な民間行事である。
ところでナマハゲの行事は、山神の使いとして里に来訪するものだという。ナマハゲは、大晦日の夜になると、今ではすっかり有名になった
「悪い子はいねがー」「泣ぐコはいねがー」と、言いながら家々を廻り、悪を諌め、吉をもたらすとされいる。これは、大晦日に行われる宮中行事の追儺・・・つまり
「鬼やらい」の変化形であると思う。鬼とは心に巣食うものでもある事から「悪い子」というのは、心に鬼を飼っている子供という意味にもなる。つまりナマハゲという鬼も、人の心に巣食う鬼退治で家々を廻っているのだろう。
ナマハゲは見た目がそのまま鬼の姿であるが、追儺の方相氏の姿も、上の画像を見てもわかるように、まるで鬼である。この方相氏と呼ばれる鬼を払う役目を負った役人と、方相氏の脇に仕える侲子と呼ばれる役人が20人で、大内裏の中を掛け声をかけて回り、悪鬼を追ったという。京都の宝積寺での追儺では七十五の餅を串に刺して、それを輪にして疫鬼に対面させるのだそうだが、七十五という数は山神の聖数であるという。諏訪大社での山神に捧げる鹿頭祭にも、やはり七十五の鹿頭を供えるそうだ。ナマハゲが山神の使いであり、やはり方相氏も山神と関連ある事から、ナマハゲと方相氏は結び付くのだろう。
また、
「東大寺のお水取り」で執り行われる法要
「十一面悔過法要」というのがある。悔過とは生きる上で過去に犯してきた様々な過ちを、本尊とする十一面観音の前で懺悔するという事だが、要は天下国家の罪と穢れを滅ぼし浄化する行事であり、実はこれも追儺儀式であった。

ナマハゲも方相氏の面も、鬼であろう。この鬼面が、いつ、どこから来たのか調べても、結局定かでは無いようだ。しかし方相氏そのものは古代中国から伝わったものであるし
「養老律令」には既に方相氏の事が記されているので、かなり以前から入り込んでいるのだろう。その方相氏そのものの正体も、実は悪鬼であって既に威力の強い神であったからこそ、あらゆる疫鬼を祓う事が出来るのだと云う。つまり
「鬼を以て鬼を制する。」である。
鬼の芸能を調べると、
「国譲りの鬼退治」という神能というものがあった。「日本神話」に基づいた内容で、出雲の建御名方神を荒鬼として表現し、退治するのだが、その後に改心して神となっている。考えてみれば、岩手県に伝わる坂上田村麻呂伝説に登場する、鈴鹿権現であり烏帽子姫は当初鬼であり、後に改心して坂上田村麻呂の味方に付いたのが、姫神山と早池峯に神として祀られた瀬織津比咩であった。
例えば悪人、もしくは政治家が
「禊ぎを済ませた。」と言えば、どこか許される風潮がある。また
「憑き物が落ちた」という言葉は、魂を何物かに乗っ取られていたという事であり、憑き物が落ちる事によって真人間になったいう意味にも使用される。心の迷いが犯罪を引き起こすのは、これがキリスト教になると天使と悪魔の囁きのどちらに耳を傾けるかで決まる。これは人間というものは弱き者であるというものが根底にあるのだが、日本では
「罪穢を祓えば神人」という言葉もある。また、柳田國男曰く
「妖怪とは神の零落したものである。」も似た様なものだろう。神という存在も、善と悪に揺れ動く存在なのである。ただ善と悪と簡単に分けるわけにもいかない。神は本来、祟る存在であり、人間はただ一方的に
「祟らないでください。」と神に対して願うだけであった。祟るのが神であるなら、それはまさに神=鬼でもあったという事。養老年間に熊野から運ばれて来た瀬織津比咩は、蝦夷という鬼を制する為の強力な神であった。言い換えれば、方相氏の様に威力の強い鬼であったからこそ蝦夷を平定できたと考えるべきだろう。その鬼であった瀬織津比咩は早池峯に穢祓の神として祀られ、それを奥州藤原氏や、その祖である安倍氏によって信仰されてきた。その奥州藤原氏は浄土思想を広めたのだが、その中の一つに規模の大きい信仰形態がある。初代清衡が、出羽国、陸奥国両国の一万余りの村毎に一ヶ寺を建立したと云われるのは、新山寺であり新山神社だとされているが、新山とは深山であり、それは早池峯であった。つまり浄土思想の根本は早池峯信仰ではなかったのか?
新山寺や新山神社が一番多く分布するのは、やはり奥州市から北上市にかけてである。その北上市に伝わる民俗芸能には鬼剣舞というものがあり、鬼の館という施設がある。北上市は鬼に拘っているのがわかるのだが、元々蝦夷国であった岩手県全体に鬼の伝説が点在している。その鬼とは蝦夷の民であり、その鬼を退治しに坂上田村麻呂がやってきたというのは為政者によって作られた伝説であると周知されている。しかし先程の言葉「罪穢を祓えば神人」を蝦夷国に当て嵌めれば、鬼であった蝦夷の民も罪穢を祓われた事により、神や仏に近くなったと捉える事が出来る。奥州藤原氏の浄土思想とは何も豪華絢爛な仏教施設を建設するだけでは無く、蝦夷の民が信仰的にも精神的にも穢祓をされる事によって浄土に導こうとしたのが、一万余りの村毎に早池峰信仰に基づく寺や神社を建立させた事がその根底になるのだと考えるのだ。鬼から神となった強力な穢祓の神である早池峯大神によって、その罪と穢・・・つまり心に巣食う鬼を祓い、浄土に導こうとしたのが奥州藤原氏初代清衡の考えでは無かったろうか。とにかく浄土への旅に不可欠であったのは、早池峯大神の持つ穢祓の力であったのだと思うのだ。