同じ人の話に、オクナイサマはオシラサマの在る家には必ず伴ひて在す神なり。されどオシラサマはなくてオクナイサマのみ在る家もあり。又家によりて神の像も同じからず。山口の大同に在るオクナイサマは木像なり。山口の辷石たにえと云ふ人の家なるは掛軸なり。田圃のうちにいませるは亦木像なり。飯豊の大同にもオシラサマは無けれどオクナイサマのみはいませりと云ふ。
「遠野物語70」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
オクナイサマは、形がオシラサマと似通っている棒状のものと、そうでないものがある。また、オクナイサマはオコナイサマとも云われている。
佐々木喜善「遠野のザシキワラシとオシラサマ」では、山形のオコナイサマとは
「御宮内様」の事であると記している。その山形の御宮内様とは、宮内の者が6尺の竿で検地をした筈が、実は6尺3寸の竿であった為、削られると思った土地が助かった農民達が喜びの余り、その6尺3寸の竿を細切れにして、各家で神として祀ったのがオコナイサマであると。しかしそれは、紛れもないオシラサマであろうとしている。
しかし「オコナイ」という言葉は、かなり古くからあり、
「日本書紀(天智天皇記)」に
「吉野に之りて、修行佛道(オコナイ)せむと講したまふ。」記しているが、元々オコナイとは仏教の行法一般を意味する言葉であった。恐らく、その行法に対して偶像が組み込まれ、その偶像が屋内で祀られた事からオクナイサマとも呼ぶようになったのではなかろうか。キリスト教もそうだが、偶像崇拝禁止でありながら異民族にキリスト教を布教する場合、形が無いと信仰心が生じない為に、イエス・キリストと一体になった十字架などを偶像とした。オコナイサマ・オクナイサマも、初めに信仰が入り込んで、それに合わせた偶像が設定された為に、棒状のオシラサマ型であったり、仏像型になったのではなかろうか。そしてまた掛軸型があるのはやはり、オクナイサマそのものが行法を主体とした言葉であった為に、いかに日々信心するかを重要視したので、神像であれ仏像であれ、掛軸だとしても問題は無かったのだろう。
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