昔遠野の六日町に火事のあつた時、何処からともなく小さな子供が出て来て、火笊を以て一生懸命に火を消し始め、鎮火するとまた何処かへ見えなくなつた。その働きがあまりに目醒ましかつたので、後で、あれは何処の子供であらうと評判が立つた。ところが下横町の青柳某といふ湯屋の板の間に小さな泥の足跡が、ぽつりぽつりと著いて居た。その跡を辿つて行くと、家の仏壇の前で止つて居り、中には小さな阿弥陀様の像が頭から足の先まで泥まみれになり、大汗をかいて居られたと言ふことである。
「遠野物語拾遺62」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昔のの火災の出火場所の殆どが仏壇であったようだ。蝋燭の火、線香の火など、家の中での火の気が多いのは、竈か仏壇であるが、意外に食事を作る時は気を付けているものだが、仏壇への蝋燭の火や線香は、点けたままかなり放置されたようなので、火災の主原因となったのだろう。遠野だけではないが、屋根が茅葺屋根である場合、火が燃え移る可能性は常に高かった。現在でも、茅葺屋根の建物には、火災の危険性が高い為に宿としての許可は下りない。全てを燃やし尽くしてしまう火災の為に昔は、火消し火除けの信仰が高く、遠野界隈を見渡しても、火伏せの愛宕神社が村に一つは鎮座しており、同じく火伏せの古峰ヶ原の石碑を多く見る。
そして仏壇は、その家で死んでいった人々を祀る場所だ。現代でも、仏壇と神棚は分けて設置するようになっている。これは神仏分離による影響であったが、それでも仏壇に阿弥陀様などを祀るのは、やはり火除けの為であったようだ。つまり火災の出火場所として高かった仏壇に、阿弥陀様などの神仏を置くのは、神仏の力で火災を食い止めようとの判断からであった。それはつまり、人間の手に及ばない火の力を神仏の力に頼って消す為であった。そういう背景から、たまたま火事が小火程度で済んだ場合、神仏によって助けられたとの意識が高まったのだろう。昔、穀町に火災が起きた時に某家の庭に祀られている稲荷神社の手前で火が消し止められた。その時、人が感じたのは稲荷様が火を消し止められたという奇跡を感じた事であった。それからその稲荷は火伏せ稲荷として崇められている。神仏が具現化する法則に、必ず童子の姿か翁の姿で現れるというのが古代から言い伝えられている。恐らく、そういう意識背景が神仏を具現化した物語を作り、語られて来たのだろう。そしてその根底には、火の力の前では人間の力は無力であるという意識もあっての事であったろう。
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