前回書いた様に、異界である黄泉国の入り口は、俵藤太が百足退治をした瀬田橋から佐久奈度神社の鎮座する佐久奈谷(桜谷)の間であった。佐久那太理とは、水の激しく落ち滾る様であり滝を意味する。その佐久那太理の滝壺がまさに黄泉国の入り口であった。そこを佐久奈谷という名が付いたのだが
「近江国輿地志略」によれば、桜谷は
「佐久奈止社の辺をいふ。此地即佐久奈谷なり。」とされており、桜谷の古名が佐久奈谷となっており、佐久奈度神社の辺りとなっている。「ラ」と「ナ」と読みは違うが、よくある音韻交代によるものらしいが、元々佐久奈谷は桜の名所でもあった為、自然と桜谷となった可能性もある。
春ならで桜谷をば見にゆかじあきともあきぬ道の遠さに
桜谷まことに匂ふころならば道をあきとは思はざらまし
にほてるや桜谷より落ちたぎる浪も花さく宇治の網代木
平安後期には、上記の歌が詠われていたようだが、落ち滾る浪と桜花が交じり合う美しい景観であったようだ。その桜の花びらと共に、滝壺に吸い込まれる様は、黄泉国というよりも浄土をイメージしたのだろうか?この桜の花びらも落ち滾る滝壺から白龍が現れた伝説があるが、まさしく瀬織津比咩が滝神であり桜神である例えではなかろうか。
ところで本居宣長の説によれば「佐久那太理」の「サ」は「真」と同じで「真下垂(マクダタリ)」の意であるとしているのだが、昨今スピリチュアル系の瀬織津比咩説に「マグダラのマリア」と結び付けて広めているのはもしかして、この本居宣長説を拡大解釈したものであろうか?とにかく「佐久那太理」の「ダリ」は「谷」であり「垂り」にも通じる事から、落ち滾る滝を意味しているのは明らかである。そして桜もまた水との繋がりが深く、桜は人間の依代ともなり、人間の代わりに穢を受けて吸い込み川へと流す役目があり、穢祓神である瀬織津比咩とも縁が深い樹木である。まさしく、その両方を兼ねた地が佐久奈谷であったのだろう。
ところで佐久奈度神社の鎮座する地を大石龍門の地というのは、佐久奈谷の滝壺から竜宮の門に辿り着く伝承から来ているのもあるが、佐久奈度神社社記には
「天瀬織津比呼尊者天照大神荒魂内宮第一の摂神也」と記されているのだが、この
「大石」という地名も本来は
「忌伊勢(おいせ)」に発した地名であるという。それがいつしか、大石となったらしい。古来から、伊勢神宮を参拝する者は、必ず佐久奈度神社でお祓いを受けるのが常であったようだ。その為か以前は祓戸大神宮と呼ばれ、別に元伊勢と呼んでいたという。
それでは、佐久奈谷の滝壺から龍門を潜って、どこに行くというのか。竜宮思想は平安時代に伝わったものだが、それがすんなりと受け入れられたのは元々常世思想が普及していた事もある。その常世思想と竜宮思想が結び付いた。伊勢と竜宮だが、
「日本書紀(垂仁天皇二十五年三月)」に天照大神が登場し、伊勢のイメージを
「是の神風の伊勢國は、常世の浪の重浪歸する國なり。」という言葉で表している。常世の「ヨ」とは、生命力を表し豊穣の源泉であるとされている。つまり常世の波が押し寄せる伊勢とは、生命力の溢れる地であるという事だろう。
しかし、常世とは常夜とも書き表す。常夜の波とは東方の海の彼方から押し寄せる波である。伊勢神宮には天照大神という太陽神が祀られている事から、その太陽が昇る海の光を浴びた波と云うイメージを常世の生命力と結び付ける場合が多い。しかし古今東西、満月の夜に魚が岸に寄って産卵し、狼は夜に狩をした。そして人間は、その狼の狩を満月の夜に垣間見、狼を師として仰いだ。生と死の交錯する夜は、月の光があってこその生命力を感じる時間帯であった。その常世国の伊勢国と同じ様な地がある。それが、日高見国であった。
月が東方から昇る意は何かというと「ヒタ」と云われる。常陸は「ヒタミチ」とされ「ヒタカの道」とされる。
「日本書紀(景行天皇二十七年二月)」に
「東の夷の中に、日高見國有り。」とある。また
「常陸国風土記」に
「この地は、本、日高見国なり」とあるのは、日高見国は、常陸国の東方を差していた。つまり常陸国とは日高見国の入り口の意でもあった。
「古今和歌集」の注釈に
「ひさかたとは、月の異名也。此月、天にあるゆへに突きにひかれて、そらをもひさかたのあめと云へり。」とあるが、「久方(ひさかた)」の「かた」は「区切られた所、県・国」を意味する。そして常陸が「ひた+ち」であり、日高見が「ひた+か」の組み合わせであるが「か」は「場所」を意味する事から「ひさかた」も「ひたか」も同じ意である事がわかる。つまり「ひさ」も「ひた」も月の意であった。
長く日高見国は、伊勢国と似た様に太陽が高く差し込み照らす広く平らな国とも解釈されていたが、「ひた」を月の意に変えれば、日高見の「見」は「望む」でもあるので、常世思想の中に月が東の海辺に接する理想的な地という観念が、日高見ではないかとの説がある。つまり日高とは常世であり、常世辺でもあるという事から、日高見国とは、その理想的な常世辺を望む地の意ともなる。となれば、日高見国も伊勢国も、同じ観念上に立つ国であり、その国を包み込む神もまた同じ可能性はある。その日高見国と伊勢国とに共通する神とは、瀬織津比咩しかないではないか。
とにかく追ってみれば、賀茂の地と琵琶湖畔の大石の地、更に伊勢と二荒山を結び附けている氏族は小野氏であるようだ。ところで常世と似た様な観念に補陀落というものがある。補陀落思想は、仏教色の強くなった二荒山にかかるものだ。その補陀落(ふだらく)が二荒(ふたあら)となった説は、少々苦しいように思える。ここで以前に紹介した歌の一部を、もう一度記そう。
天なるや 弟棚機の 頸がせる 玉の御統の 穴玉はや み谷 二渡らす 味耜高彦根
この歌の中の
「み谷 二渡らす」を
折口信夫は
「三谷を一渡しし、更にあちらから此方へ今一渡しするだけの畏るべき長大な御身を持たせられる」存在と解している。そして「記紀」においてヤマタノオロチの表現を
「蔓延於八丘八谷之間」とするのは、蛇を意味するものだとされている事から、この歌の「み谷 二渡らす」は蛇を意味する事から、恐らく「二荒(ふたら)」とは補陀落では無く、蛇を意味しての命名では無かったか。とにかくこの琵琶湖の地から、賀茂・伊勢・二荒、そして日高見へと繋がるようである。