佐々木喜善「遠野奇談」によれば、遠野市新町に奥田某という家の婆様が、用事で二階の座敷へ行くと、そこには非常に綺麗な17歳くらいに見える娘が赤い着物を畳んでいたが、婆様を見ると、慌ただしく立ち上がり、奥の部屋の方に隠れたという。これもまた座敷ワラシであろうとしているが、この前の座敷婆子も含め、屋敷に現れる物の怪を全て座敷ワラシにしてしまうのには無理があると思える。単純に幽霊でもよさそうなのだが、幽霊には足が無いという昔の定説に従えば、幽霊では無いとされる。「遠野物語」を含め、遠野の伝承などを読んでいると、座敷に現れるのは座敷ワラシで、怪しい出来事の殆どは狐の仕業と相場が決まってしまうのは何故か。それは、そうした方が無難であるというのも理由であろう。それよりも、幽霊と座敷ワラシとの境界線が曖昧な事が、一番の理由ではなかろうか。
座敷ワラシの多くは5、6歳の少女とされている。7歳までは神の子とされた時代、7歳未満の子供というのは、人間を逸脱した存在であるとされていた。それ故に、7歳を過ぎて普通の人間に戻るのであれば、二階の座敷に現れた17歳くらいの娘は、座敷ワラシでは無い、別の存在という事になる。神話世界に少童神が登場するのだが、その少童神は歳を取る事無く、その姿を維持している。神という存在になった時点で、どうも成長は止まるようだ。それならば、座敷ワラシもまた神に準ずる存在であるならば、その成長は止まったままで、永遠に7歳未満の子供の姿を維持している筈である。
童とは、一人前に見做されない存在である。当然座敷童子とも書き記す事から、座敷ワラシは男にも女にも成りきれない、どちらかといえば中世的な存在となる。例えば、幼名というものがあるように、また昔は髪型が成長と共に変化していくように、子供から大人へと、体も含め、名や髪型を変えていったものである。
「梁塵秘抄」に、こういう歌が載っている。
遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、
遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ動がるれ子供の遊びは、いわば神の子の遊ぶ姿であり、それは傍目からただ眺めるだけだった。座敷ワラシが目の前に現れても、それは神の領域であろうから、ただ眺める、もしくは見つめるだけで、それを自然のものとして捉えるしかなかった筈だ。何故なら、神とは自然そのものでもあるからだ。ところが17歳というば生理が始まっており、もう既に大人の女性である。現代ならば、17歳はまだ少女であるとも云えそうだが、昔は既に嫁ぐ事の出来る年齢である。柳田國男は22歳の頃、16歳の少女に恋い焦がれたという。それは既に大人の女性と見做していたからであった。となれば、17歳の少女を座敷ワラシと見做すには、少々無理があるというもの。ただしかし、大物忌という存在が神社界には存在する。大物忌とは、神聖童女祭祀者であり、神に奉仕する少女であった。幼少の頃に選任されれば、父親の死に遭遇しない限り成女となるまで神に奉仕続けるのだった。漫画で恐縮だが、
西森博之「鋼鉄の華っ柱」にも、この大物忌が紹介されている。代々続く古い家柄では、この制度を今でも採用しているものかもしれないと思えるような漫画であった。それはつまり、世間からは隠された存在。ある意味、奥座敷に閉じ込められているようなものであろう。しかし、神に奉仕するという大事な使命を帯びている事から、それを名誉として受け継がれてきた歴史がある。神に奉仕する存在が、限りなく神に近い存在であるならば、この奥田家に現れた少女もまた、人目については成らない、大物忌のような神の一人であったのかもしれない。