前に、常陸国には二荒山の影響があると書いた。鹿島神宮の御神体の大甕でさえ、二荒山からのものであった。その二荒山だが、
下山衣文「古代日光紀行」では、男体山山頂遺跡から鉄鐸131個が出土しているという。この鉄鐸は
「サナギの鈴」とも呼ばれ、
「佐奈伎鐸」とも書き記す。
サナギとは「小蛇」の意であるようだ。「ナギ」は蛇の古語であり、イザナギ神もまた蛇であった。イザナギ、イザナミは「凪」と「波」を意味し、それがクネクネとうねる様が蛇の動きを彷彿させる事から来ている。そして、この「サナギの鈴」は、音響を以て神意を伝える重要な神呪のアイテムであるという。上の動画の様に、蛇は怒る時、その尾を振動させて、その振動する尾が振れるもの次第で、響きが変わる。その蛇の出す音を意識されて作られたのが、サナギの鈴ではないかと云われる。大抵の場合、サナギの鈴は6つ連なるのは、十二支の子から始まって6番目が巳である事から、蛇を意識して6つのサナギの鈴をつけるのだと云う。
古代では、蚕の守り神が蛇とされたのは蚕の繭玉を
「竜精」と称し、竜蛇の子供でもあったからだ。その蚕は蛹(サナギ)でもあり、サナギの鈴の名称であり、その造形は蛹にも通じる。岩手県の浪分神社の祭神が瀬織津比咩であり、養蚕の守り神でもあるのは、瀬織津比咩が竜蛇神であるからだ。
そして再び「ナギ」だが、それはウナギにも通じ、ウネウネとうねる様は、蛇でもありウナギもまた同属とされた。そのウナギは栃木県に多く祀られる星宮神社に祀られる神の眷属とされるが、本来は蛇であったのだろう。何故なら、星宮神社は二荒山の影響を受けて建立されたからだ。蛇を祀る二荒山の神威は、栃木県や茨城県に影響を与え、そのサナギの鈴繋がりから諏訪との関係も深く関わる。その二荒山の蛇とは、以前に書いた通り、滝尾神社の祭神である田心姫に繋がるのだが、実は田心姫ではなく瀬織津比咩となるのは、過去に記した。
もう一度、鹿島神宮へ戻ろう。鹿島神宮の御神体は、海中に沈む大甕であり、その甕とは蛇を入れる器である。それは出雲地方に伝わる習俗から見出せる。例えば出雲では、白蛇を甕に入れ初穂を供えて家の守護神としていたなどと、蛇を飼っていたようである。ただ飼うと言ってもペットとは違う。その甕に大元神である蛇の霊威を閉じ込めておくという事である。それを鹿島神宮に当て嵌めれば、二荒山の蛇を封じ込めたのが鹿島神宮である事になる。本殿に祀られる武甕槌より先に、花房社に祀られる蛇神を参拝しなければならないのは、その蛇神の霊異を鎮める為であろう。また鹿島神宮には、要石がある。地面下に潜むナマズを抑える為だとあるが、実際は龍脈を抑えるのが要石の役割である。つまり鹿島神宮の役割とは、竜蛇神を抑え封じ込める役割として建立された神社であると想定される。その一つは二荒の蛇神であり、もう一つは実は蛇神であった静神社の神であり、穢祓の意味を持つ「カカセオ」という名の蛇神。それは、滝尾神社と同じ瀬織津比咩であった。
小野神社というものがある。一番有名なのは、武蔵国一宮の小野神社で、祭神は瀬織津比咩である。その小野神社の御札が、上の画像となる。青は水を表し、赤は火を表す。太一陰陽五行に則れば、陰陽の水と火は、太一において一元となる。その両方を兼ね備えた形で瀬織津比咩の御札があるというのは意味深であろう。そして、その小野神社は多摩においてはアラハバキ神を祀り、塩尻の小野神社では建御名方神を祀っている。また、町田の小野神社は小野篁を祀っているが、小野篁は冥界を自由に出入りした人間であり、それはつまり地下を移動するのは、諏訪の蛇となった甲賀三郎に通じる。
全国の小野という地名の殆どは、小野氏から発祥していると云われる。諏訪大社との関係の深い、塩尻の小野神社は不明であるが、恐らく小野氏との関連が見いだせるのではなかろうか。何故なら、列挙した小野神社の祭神は、瀬織津比咩であり、アラハバキ神であり、建御名方神という事は、大元神が竜蛇神である事から、全て関連してくるのだ。その竜蛇神である大元神だが、それが早池峯神社に関わるのは、大分県の宇佐神宮に関わってくる。次は、宇佐神宮へと飛ぶ事にしよう。