右の話をよく呑込む為には、田尻氏の家のさまを図にする必要あり。遠野一郷の家の建て方は何れも之と大同小異なり。門は此家のは北向なれど、通例は東向なり。右の図にて厩舎のあるあたりに在るなり。門のことを城前と云ふ。屋敷のめぐりは畠にて、囲墻を設けず。主人の寝室とウチとの間に小さく暗き室あり。之を座頭部屋と云ふ。昔は家に宴会あれば必ず座頭を喚びたり。之を待たせ置く部屋なり。
「遠野物語80」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「注釈遠野物語」によれば、この田尻家の建物は、昭和13年に解体され新築されたという。また囲墻とは、垣根の事であり、豪家と呼ばれる家ではイチイなどで生垣を巡らせていたようだ。そういう意味では田尻家の建物は、農家特有の建物であったのだろう。
ところで座頭部屋だが、図の中央、主人の寝室に隣接した名称の記されていない部屋の事である。
「遠野物語14」の
「大同の家には必ず畳一帖の室あり。此部屋にて夜寝る者はいつも不思議に遭ふ。」という部屋であり、民間信仰の祈禱所であり、修験山伏の特別な修業の場である小部屋でもあった。土渕の山口部落では一般的に「ヒシャ」と呼び、小さくて薄暗い事から座頭部屋(ザトベヤ)とも呼んだという。これは恐らく、昼間でも暗い部屋である事から盲目の座頭と結び付けられたのだと思うが、「遠野物語80」の文中では実際に座頭を呼んで待たせて置く部屋であった事から、不思議に遭う小部屋とは、何かが見える為、何も見えない座頭の部屋にしておくに丁度良かったのかもしれない。
その座頭部屋とは別に、隔離部屋というのがあったらしい。某家では、他人に知られたく無い者を世間から隠す為、隔離部屋に閉じ込めて暮らさせたという事だ。それは本宅とは別の建物の場合もあり、また本宅の裏側に面する部屋の場合もあったようだ。つまり、人目に触れない部屋を隔離部屋と言った。その隔離(カクリ)だが、幽霊の
「幽」を単独で
「カクリ」とも読む。「幽」を辞典で調べると
「暗くて見えない。かすかの意」「世間から離れてひっそりとしている。」「人を閉じ込める。」「死者の世界。」などを意味している。そういう意味から、不思議に遭う小部屋であり、目の見えない座頭を待たせる座頭部屋もまた、隔離部屋であり、幽部屋であったのだろうと思う。それはつまり、人の住む家の部屋でありながら、霊界と繋がっていると思われていた部屋である可能性はあっただろう。何故なら、真ん中には何かが起きると云う迷信にある。例えば、四畳半の部屋での畳の半畳を真ん中にしないのは、切腹部屋とは四畳半の半畳を真ん中に設定して行われたのは、その切腹者の魂を霊界に送ると云う意味合いがあった。田尻家の間取りを見ると、普段使用しないザシキと小ザシキを省けば、その空白の座頭部屋は、ほぼ真ん中に位置する不吉な部屋となっている。だからこそか、この間取り図にも名称を記さずに座頭部屋と紹介しているのは、生きている人間の暮らす部屋では無い事を意味しているのだろう。
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