仙人峠にもあまた猿をりて行人に戯れ石を打ち付けなどす。
「遠野物語48」
今から20年くらい前、歩いて日本一周をしている若者が、自分の経営する宿に泊まった。聞くと、昨日は仙人峠にテントを張って泊まったのだという。ところが夕暮れの辺りが薄暗くなってきた頃、テントの外に何やらガサゴソと生き物が動いている様な音が聴こえたのだと。その若者
は『熊!?』と一瞬思ったらしく、恐る恐るテントの外を覗いてみると、沢山の猿がテントの周りを取り囲んでいたという。
その若者から、正確に仙人峠のどの辺に泊まったのか聞き出してみたが、土地勘が無い為に、要領を得ない。とにかく、仙人峠であるらしかった。ただ、沿岸から歩いて、現在の旧仙人峠のトンネルを歩いた話を聞いたので、恐らく観音窟前の広場にでも泊まったのだろう。
ところでテントの周りを猿に囲まれて、恐ろしさのあまりテント内部で縮こまっていた若者は、とにかく猿がいなくなってくれるのを願っていたという。ただ食糧目当てであるなら、暫くいるのじゅないかと、ずっと不安でいたらしい。しかしいつの間にか、その猿の群れはテントの周りから消え失せていたらしい。ただし、もう既に辺りは真っ暗になっていたので、姿が見えなかっただけかとも話してくれた。
自分はというと、仙人峠で猿をまだ目撃した事が無く、その当時、遠野の動物写真家として有名だった故時田氏に聞いたところ、かなり奥へ行かないと猿は遭遇できないかもと言われた。ただし、仙人峠では無く、笛吹峠を越えたところに橋野という集落があり、そこで猿を目撃した程度だった。そしてたまに、遠野の町にもはぐれ猿が目撃される程度で、現代の遠野での猿は、かなり縁遠い存在のように思える。
昔は、里の淵周辺にも猿が生息していたらしく、それを
「淵猿」と呼び、遠野の赤い河童の正体の一つでは?とも云われている。今現在の遠野では鹿の被害が酷く、その対策に頭を悩ませているが、津波の被害により、福島県に生息する猪が豚と交雑し、イノブタとなって北上しているという情報がある。江戸時代には、津軽で猪の被害により作物が全てやられてしまい、餓死者200人という記録がある。その猪は明治時代になり流行した豚コレラによって絶滅している。そしてそれに加えて、もしも猿が遠野の里に進出し始めたらと考えると、恐ろしいものである。