夏真っ盛りだった筈の遠野だったが、ここに来ての雨で今朝も涼しく、なんとなく夏も終わった感じにも思える。レンタサイクルを借りて遠野を散策する客も、途中での土砂降りでズブ濡れになって帰ってくる客もいた。
ただ、週明けから再び晴れ間は戻るみたいだが、朝晩は過ごしやすい日が続きそうな気配。暑さ寒さも彼岸までとはいうが、いつもの遠野はお盆が過ぎれば秋風が吹くと云われ、日中はそれなりに暑いだろうが、全体的には過ごしやすい日になるだろう。2年前は10月になっても暑い日が続いたが、それは滅多に無い年であったのだろう。
今朝も、扉や窓を開けると涼しい風が吹き込み、エアコンは要らない。光熱費が上がる一方なので、こういう自然の状態で過ごしやすいのは助かるというもの。「徒然草」を読むと、京都の暑い夏をいかに過ごそうかと考え、夏の寒さ対策を捨てて、夏の暑さに重点を置いた家造りをしたよう。確かに、冬の寒さは動けば暖かいし、布団にくるまっていても暖かい。しかし、夏の暑さだけは、衣服を全て脱ぎ捨てても暑いものだ。しかしその為に、盆地の気候「夏は蒸し暑く、冬は底冷えする」というものに加えて、その平安末期から鎌倉時代の冬を火鉢だけで過ごすというのは信じられない。昔の人は、よほど我慢強かったのだろうか?