
白山の開祖泰澄は、愛宕の開祖でもあった。それは、何か意味があったのだろうか?白山を水の信仰とすれば、愛宕は火の信仰となる。そのあたりに、何かの意味を有しているのだろうと思える。
原島知子「火事と愛宕山」を読むと、愛宕山の奇妙な風習が紹介されてあった。愛宕山の宿場としての清瀧村は愛宕信仰上、重要な位置を占める地であるようだ。清瀧村を流れる清滝川は、伊勢内宮の五十鈴川と同様の水垢離場である。その清瀧村での愛宕山詣での描写が
司馬江漢「江漢西遊日記」に記されている。
「路ふもとより五十町清滝なと云処ありて、路々喰物あり、人をも泊まる。女土器を投げる妙なり。」これは江戸時代中期であるが、この土器を投げる習俗そのものはいつまで遡るかわからないという。
大森恵子「愛宕信仰と験競べ」では、それを更に掘り起こしている。この土器を投げる行為とは、死者が極楽に往生するといった意味。死者の供養をする為には、品物を投げて散供するのだと。それがもしも荒ぶる神に対するものであるならば、祟らないでくれとの祈願からの土器投げであろうと説いている。

ここで気になったのは、崇徳上皇だ。崇徳上皇が愛宕神社で呪詛を行い天皇を呪い殺したという噂が広まったのは、元々愛宕神社が呪詛と関係ある神社ではなかったのか?愛宕神社に伊弉諾が祀られているのは、火神である軻遇突智を切り殺した為での火伏せの意味からであろう。その軻遇突智もまた、愛宕山に祀られている。しかし軻遇突智の怨念は生きていた為、崇徳上皇事件は起きたのだと思う。
山田雄司「崇徳院怨霊の研究」によれば、その呪詛の方法とは、近衛天皇の霊が巫女に口寄せしての事によれば、誰かが呪詛して愛宕山の天公像の目に釘を打った為、自分は目が見えなくなり、ついには無くなってしまったとの事だった。そこで白河法皇をその像を調べると、果たしてその通りであったとの事である。
軻遇突智は、母である伊邪那美を殺した忌子だと云う。愛宕の漢字は「愛」という漢字に「宕」という石で蓋をする意味の漢字の組み合わせだ。愛した我が子を封印したという意味になるのだろうか?古代では、流れる血によって新たな生命が生まれると信じられていた。軻遇突智の首を斬り落とし、流れる血によって多くの神々が誕生した事を踏まえれば、迦具土神は神々の誕生の為の生贄であったのだと思える。しかし怨念とは無念の為せる極みである事を思えば、軻遇突智とは本来、別の神ではなかったか?何故なら、生まれてすぐに殺された軻遇突智は、怨みというものが育つ前に死んだのではなかろうか。つまり、ある神が、その神名を伏せられて軻遇突智という仮の名を付けられ「記紀」での神話上で生贄として殺された。だからこそ無念であり怨霊が発生した為、それを知っていた関係者が崇徳上皇を貶める為に、愛宕神社での呪詛事件を起こした。
「記紀」の神話は、多くの神々を誕生させ過ぎた。例えば、伊弉諾が黄泉国から脱出して禊祓いした時に誕生した四神は、元々八十禍津日神という一柱の神が、四分割されて発生した。その八十禍津日神も、本来は天照大神の荒御魂であった事を考えれば、軻遇突智の死によって誕生した神もまた同じ可能性があるのではなかろうか。つまりだ、軻遇突智という火神は、その火という属性を考えた場合、「記紀」から姿を消した謎の火の神である可能性はある。山田雄司は、怨霊と龍とは、深い関わりがあると説いている。
「愛宕山縁起」では、空也上人が愛宕山に参詣したおり、女人に変化して現れた大蛇が成仏を願ったので、念仏を受け、その代わりに清泉を湧き出させたという因縁がある。愛宕の本地神である勝軍地蔵尊(ショウグンジゾウソン)の名の本来は、蛇神でり風神でもあるミシャグチ、シャクジンからの変化であるようだ。つまり勝軍地蔵尊そのものが、蛇であり龍を意味している。その愛宕山に祀られる
軻遇突智命(カグツチノミコト)は別に
「イカヅチノミコト」と読む。京都でのイカヅチ神とは賀茂別雷神社の賀茂大神を意味する。しかし本来は、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊であろうと云われる。

土器片を清滝川に投げ入れる習俗で思い出すのは、羽黒神社である。羽黒神社の鏡池に鏡を投げ入れるのは、鏡が白銅鏡(ますかがみ)であり、月を意味する水の依代でもある事から、水神の供養でもある。それと同じに、愛宕山の清滝川に土器の破片を投げ入れるのは、土器が火神の依代であるという事だろう。つまり火神の怒り、祟りを鎮め供養するという意味であるのだと思う。
愛宕大権現の本地仏は白猪乗り武神像であり、愛宕大権現の化身動物が白猪で火の神だと信じられている。猪は多産である事から多産の神であるとなるが、男神で多産?という疑問符が付く。だが考えれば、軻遇突智の死によって多くの神々が誕生した事から、つまり火神とは、
軻遇突智(イカヅチノミコト)であろう。
白蛇が水神である瀬織津比咩の化身とも云われるが「記紀」において、蝦夷征伐をしたヤマトタケルを滅ぼしたのは山神の化身で、
「日本書紀」においては「白蛇」であり、
「古事記」においては「白猪」となる。これが秦氏の一族である泰澄の行動と重なる。「日本書紀」と「古事記」において、何故に山神の化身が、白蛇と白猪に分かれたのか。それはある意味、「記紀」の関係者が水龍と火龍の分断を意図的に施した為ではなかろうか。泰澄はそれを知っており、だから水の信仰である白山を開き、そして火の信仰である愛宕を開いた。それはつまり、「記紀」によって抹殺された、火龍である天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊と、水龍である瀬織津比咩の供養としての白山と愛宕山の開山ではなかったのか?

崇徳上皇は、怨霊となって大天狗になった。愛宕山には太郎坊という天狗がいるが、太郎とは長男の意味を持つ事から、天狗の頂点に立つ大天狗であり、その大元は怨霊の変化となった大天狗であった可能性はあるだろう。その太郎坊の正体は、御霊神であろうし、それは軻遇突智であり天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊なのだろう。
東北において、竈の火に樒(シキミ)をくべるのは、愛宕山の習俗が、そのまま全国に広まったからだという。樒の実は毒を持っており魔除けにもなるという。また樒の語源は「悪しき実」からきているという。全国の竈に祀られる竈神とは、非業の死を遂げた者が、竃神として祀られているのだが、その竈の命である火は、愛宕の火でもあった。愛宕大権現に樒を供えるのは、ただ単に樒が愛宕山に自生していただけではなかろう。樒による呪力「魔除け」の効果を期待して、土器片を投げるのと同じく
「祟らないでください。」という祈願であった筈だ。それは非業の死を遂げた火龍の祟りを恐れての習俗であろう。
ここで軻遇突智(カグツチ)の「カグ」は、かぐや姫と同じ「光り輝く」の意であり、「ツチ」は霊の意であり水龍である「ミヅチ」と同じで蛇を意味する事から、火龍であるだろう。また香香背男の香香(カカ)は、蛇の古語であり、瀬男(セオ)は水の尾で「綺麗な水の湧くところ。源流」を意味し、また別に「カカセ」とは「穢祓」の意がある事から水龍であろう。
「日本書紀 神功皇后記」に
「星辰」を
「あまつみかぼし」と読んでいる。
「辰」は龍でもあるが、日・月・星の総称でもあり、要は三光信仰か。つまり、香香背男でもある天津甕星は龍神であり星神であり、そして水龍という事になる。
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