
天河神社の天女が瀬織津比咩であるとは書いたが、やはり
菊池展明「円空と瀬織津姫(下)」で紹介されている静岡県に鎮座する瀬織戸神社に祀られる瀬織津比咩の祭神説明では
「天照大神と素戔男尊の第二王女」「一般に"弁天さん"」と呼ばれているとある。第二王女とは、田心姫に続く二番目の湍津姫神である事は間違いなく、これは湍津姫神が瀬織津比咩であるという、もう一つの現存する証明でもある。また、その瀬織津比咩が天女でもある弁財天とされているのは、山の頂に坐す女神は山神でもあり、その山神は春に麓に降り立って田の神となる伝承が、まるで天女の飛来の様である事から弁財天と習合されたのではなかろうか。となればやはり、常陸国の「我国間記」に記される丹後国に飛来した天女とは、豊受大神の名で語られた、大甕倭文神社、静神社、そして鹿島神宮の高房社に祀られてある香香背男としての瀬織津比咩である可能性は高いだろう。

羽衣を奪われ天界に戻れなくなった天女を、堕天使ならぬ堕天女と呼ぶ。その堕天女となった経緯は、たまたま男が羽衣を見つけたので奪ったというのが一般的である。しかしリアリティを持った伝承は、唯一阿蘇に伝わるもので、阿蘇神社の御前迎え神事に結び付いている。
赤水宮山に健磐龍命が行ったら山女がいた。この山女は日下部吉見の姫が赤水に来ていたもので、健磐龍命がこの姫を強引に担げて来て自分の嫁にした。嫁盗みを神様がやったので、阿蘇の人々にも許されている。実際にも行われていた。姫を盗む途中で十二か所寄って来る。化粧原は十二か所目になり、ここから夜になるので松明を出す。そして赤水のお宮で強引に姫の穴鉢を割る(犯す)。それからお宮(阿蘇神社)に連れ込んで高砂(結婚式)をする。お宮に連れ込んだが、姫が生まれ在所に帰りたいというので羽衣を隠した。子供が十二人生まれる。これが阿蘇神社の十二の宮である。子供が多く生まれたので、安心して歌を歌う。「姫の羽衣は千把こずみの下にある。」それで姫は羽衣を見つけ、生まれ在所に帰った。
嫁盗みといえば、日本人と顔が似ているというキルギス国での誘拐結婚は、今でも有名だ。そのキルギスの風習が伝わったわけでもなかろうが、日本の古代にも似た様な事があり、世界中でも国を侵略し、その国の姫を奪うという話を列挙すればキリが無いくらいだ。そういう意味から堕天女という言葉は、そのまま「奪われた姫」という言葉に変えても違和感が無い。
健磐龍命は神武天皇の孫と云われ、その命を受けて阿蘇地域を支配したようである。そういう意味から、地主神である日下部吉見の水神を力によって支配したのだと理解できる。子供が出来ながらも、尚も故郷へ帰ろうとする天女の行動は、力による支配に対しての反抗でもあるのだろう。昔話での異類婚は、正体を知られた鶴であり、狐などが、子供を作りながらも、その子供を捨ててまで人間界から去ると云う悲話になっているが、その天女伝説の原初とは恐らく、阿蘇神社に伝わる姫(水神)の強奪ではなかったか?

天の川は、天空に浮かぶ竜の姿にも例えられる。それは天の川と地上の川が繋がっているという信仰にもよる。それについては、やはり「円空と瀬織津姫(下)」に、筆者による読み下しの祭神説明があるのを見よう。
そもそも天川と申すは、天神七代の御末伊弉諾伊弉冉二尊の御本宮、吉野熊野宮とも、吉野熊野之中宮とも申し伝え、生身天女の御鎮座、天照姫とも奉崇して今伊勢国五十鈴之川上に鎮り坐す天照大神別体不二之御神と申し伝え、故に大峯山の内道場とも、或は日域の古伝にいうところの天安河とはすなわち今の天川なりと申し伝え候。
これによればつまり、この奈良県の天川が天安河であるとしている。つまり「記紀」での天照大神と素戔男尊の二神が天の安河を挟んで誓約を行ったという神話は、日本における天の川伝説の原型となるのかもしれない。それ故なのか、古代中国の地上に流れる黄河であり、天空に流れる天の川を意味する「天河」を採用した天河神社は、天安河でもあると伝えている事から星の伝説を意識しての神社であろうし、天照大神と素戔男尊の誓約のシーンを紐解く重要な地なのかもしれない。
天の川鏡にうつす神なれや来る度毎に再拝しつゝ(円空)
この歌は、円空が何度か天河神社に来て詠んだ歌だと云うが
「鏡に映す神」で思い出すのが、宗像の中津宮のある大島である。
「古今集紫雅抄」によれば、筑前大島の中津宮の天の川に盥を浮かべ、その水鏡に映る織女と出逢い、神仕えになったとの伝承がある。水鏡に映る神は織女であり、それは奈良県の天川においては天女であるのだろう。そして
「肥前國風土記」である。
姫社の郷、此の郷の中に川あり、名を山道川といふ。其の源は郡の北の山より出で、南に流れて御井の大川に會ふ。昔者、此の川の西に荒ぶる神ありて、路行く人、多に殺害され、半ば凌ぎ、半ば殺にき。時に、祟る由を卜へ求ぐに、兆へけらく「筑前の國宗像の郡の人、珂是古をして、吾が社を祭らしめよ。若し願に合はば、荒ぶる心を起さじ」といへば、珂是古を覔ぎて、神の社を祭らしめき。珂是古、即ち、幡を捧げて祈禱みて云ひしく、「誠に吾が祀を欲りするならば、此の幡、風の順に飛び往きて、吾を願りする神の邊に堕ちよ」といひて、便卽て幡を挙げて、風の順に放ち遺りき。時に、飛び往きて、御原の郡の姫社の杜に堕ち、更還り飛び来て、此の山道川の邊に落ちき。此に因りて、珂是古、自ら神の在す處を知りき。其の夜、夢に、臥機と絡垜と、儛ひ遊び出で來て、珂是古を厭し驚かすと見き。ここに、亦、女神なることを識りき。卽て社を立てて祭りき。爾より巳來、路行く人殺害されず。因りて姫社といひ、今は郷の名と為せり。
この姫社は今では七夕の神にもなっているのだが、それ以前は往来の人を殺す恐ろしい荒ぶる女神であった。その正体は、機織りに関する神である事から女神とわかるが、その神名は明らかになってはいない。しかし宗像の郡の人の珂是古は巫女であろうから、その巫女が幡を神の依代としての占は、宗像のみあれ祭りそのものである。つまり珂是古は宗像三女神の中で、機織りに関係する女神を姫社に祀ったという事である。その後に七夕神社となっている事を付け加えれば、この荒ぶる女神の正体は養蚕神でもあり、七夕に関係する神でもある。つまりそれは、中津宮に祀られる湍津姫神とみるべきである。
その中津宮のある大島だが、神社の関係者に聞いたところによれば、奥に隠れた禁足地があり、そこに妙見神を祀ると云うが、それは熊本の八代妙見とも関連するらしいが、八代よりも古い、妙見の原型とも云われる。妙見の女神は大亀に乗ってやってきたと云うが、その大亀(オオガメ)は何故か関東以北になると狼(オオガメ)となり、また白馬と変化する。その妙見と七夕と、そして天女に結び付く神が宗像の湍津姫神であり、天照大神の荒御魂となる瀬織津比咩という事になる。
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