
安蘇郡に中禅寺湖が属し、その阿蘇郡での雨乞い方法が、中禅寺湖の水を汲む事だったのは前回に記した。また二荒山と赤城山の争いは、沼争いであったようだが、どうもそれは中禅寺湖の事であったようだが、それとは別に赤城山にも沼はあり、その沼には唵佐羅麽女(オンサラマニョ)という存在がいて、二荒山の神に味方したと
「日光神戦譚」に紹介されている。
その赤城山を祀る赤城神社の由緒によれば、赤城神社とは山と沼との信仰であるといい、その主祭神は赤城大明神であり、小沼宮には豊受大神と倉稲魂命が祀られている。伝説では大蛇と大百足の争いのイメージが強い為か、赤城大明神とは大百足なのか?と勘違いしそうだが、赤城大明神の正体は不明。しかし
尾崎喜左雄「上野国の信仰と文化」によれば、伊勢崎市の赤城神社所蔵の懸仏は弘長四年銘で
「二大明神御正躰一面」とあり、表面に千手観音座像を陰刻してある事から、赤城大明神の本地は千手観音である事がわかる。これは中禅寺に千手観音が祀られているのと同じであり、五来重は千手観音は水神信仰の本地であると説いている。大蛇と大百足との争いは、なんだったのだろう?いやそれはつまり、同じ水神を祀る二荒山であり赤城山に大百足という存在が攻め入ったという事を意味しているのだろう。それ故、赤城山の沼に棲む唵佐羅麽女が同族の二荒山の神に味方したという事。
「日光神戦譚」によれば、その唵佐羅麽女が赤城の神に嫁いだという事は、和平が結ばれた事を意味する。となればやはり、赤城大明神とは大百足をトーテムとする部族であったろうか。百足もまた産鉄民族の象徴である事から、赤城山は元々二荒山に斎く産鉄民族の縄張りであったが、似た様な別の部族が赤城山に入り込んで争ったが、最後は和平を結んだという事なのだろう。ただ、御正躰が千手観音である事から、二荒山同様、赤城山の本来の神の棲家もまた湖であり沼である事が理解できる。

二荒山と赤城山との沼争いとは、その沼に棲む水神の女神を争う事であったのはわかる。そしてもう一つ気になるのは、阿蘇だ。以前にも紹介した、遠野における館跡と御前沼と天女に関する地をもう一度表示してみよう。
真立館(松崎町松崎 御前沼 荷渡観音 御前様)
小田沢館(青笹町中妻 荷渡観音 御前沼 御前様)
月山神社(上郷町字南田 御前沼 御前様 千手観音)
佐野館(上郷町佐野 御前沼 御前様 薬師観音)
御前(綾織町新田 御前沼 御前様)
天ヶ森館(附馬牛町安居台天ヶ森下 御前沼跡 御水神宮)
荒矢館(附馬牛町荒屋 御前様)
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上記の館の館主は不明という事で、何故に御前沼を祀り、天女伝説が付随しているのも、また不明となっている。ただ、地域が松崎・青笹・上郷・綾織となっているのに注目したい。
遠野の歴史によれば、阿曽沼氏は奥州征伐の後、遠野十二郷を領地にしたとなっているが
大川善男「遠野の寺社由緒考」によれば、その当時の郷とは狭いもので、阿曽沼氏の領地は猿ヶ石川・早瀬以北であり、上郷・青笹・土渕・松崎・附馬牛の限定される地であったようだ。つまり天女伝説の付随する館跡は、綾織を除いての殆どが阿曽沼氏の領地となっている事から、阿曽沼氏の関係者が持ち込んだ信仰であろう。その阿曽沼氏は元々佐野氏を名乗っていた事からも、上郷町の佐野館跡は、阿曽沼氏の影響からであったろうと思えるのだ。その阿曽沼氏の姓は、栃木県の安蘇郡と沼から発生したものだと思える。それはつまり、安蘇郡における信仰の影響からであろう。

茨城県の民俗・習俗を調べても、古代から磯出などの神事があるという野は、恐らく南方の海人族の進出があってのものだろう。例えば、長野県に安曇野市があるのも、安曇氏が天竜川を遡って進出したせいであると云われる。
関東一円には星宮神社に付随して、ウナギ信仰が伝わっている。ウナギは虚空蔵菩薩の眷属であるから食べないというものだ。しかし元々ウナギ信仰があるところに虚空蔵菩薩信仰が結び付いた為と云われるが、そのウナギ信仰と共にナマズ信仰もまた存在する。それ故に、ある地域ではナマズは食べないがウナギは食べるという地もある。そのナマズだが、例えば鹿島神宮の要石は地中に潜むナマズが暴れると地震が起きるので、そのナマズを抑える為の要石であると云われる。ところが伊勢暦では地中に潜むモノは龍であり地震蟲とも云われるものが暴れるので地震が起きるとも云われている。しかし、ナマズも龍も水に潜むモノだ。
そのナマズを、信仰する地域がある。それは、九州の阿蘇地方である。俗に蹴裂伝説と云われるものに、阿蘇の健磐龍命が昔、開田の為に外輪山の一角に立って阿蘇を見上げると噴煙が見え、その下に大きな湖が見えた。その湖を蹴破り湖の水を外に出した。その時湖の主の大鯰が引っ掛かり水が途中で止まっていた。その鯰の鼻に蔓で作った太い縄を通しひっぱって鯰をどけたという。それで湖の水が流れ引いたので、水で豊かになった地で稲作を始めたが思わしくなかったと。それは鯰の祟りであったとされ、それからその一帯では鯰を捕る事も食べる事もしなくなったという。
阿蘇の御祭神は、阿蘇山の火口に溜まった池に祀られている。北の神霊池である第一火口を一宮とし健磐龍命を祀り、中の神霊池の第二火口に阿蘇津比咩を、そして南の神霊池の第三火口に彦御子命を祀っている。つまり、山の池を神霊の住む地としているのは、赤城山であり二荒山と同じである。更に阿蘇地方には健磐龍命の父を中心とした天女伝説が、かなり多く分布している。これらの伝承から察するに、栃木県の安蘇郡も、九州の阿蘇地方からの移民が多く住み付いたのではないかとの憶測が成り立つのではなかろうか。付け加えれば、阿蘇に嫁いだ阿蘇津比咩とは、日下部吉見神社の水神である瀬織津比咩であった事は、何度も書いてきた。つまり神繋がりで、阿蘇山信仰と二荒山信仰が結び付いてくるのである。
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