
愛知の天白神社から瀬織津比咩は天白神でもあるのはわかったが、別に「麻栽培の神」とも云われ別名として
「天白羽神」でもあるとされている。それで面白いのが
「古語拾遺」である。「記紀」には記されていない事が書かれてあった。それは天照大神が天岩戸に籠って、他の神々が天照大神を天岩戸から出す準備をしている時の話である。
天香山の銅を取りて、日の像の鏡を鋳しむ。長白羽神(伊勢国の麻続が祖なり。今の俗に、衣服を白羽と謂ふは、此の縁なり。)をして麻を種ゑて、青和幣と為さしむ。天日鷲神と津咋見神とをして穀の木を種植ゑて、白和幣(是は木綿なり。己上の二つの物は、一夜に蕃茂れり。)を作らしむ。天羽槌雄神(倭文が祖なり。)をして文布を織らしむ。天棚機姫神をして神衣を織らしむ・所謂和衣なり。
「古語拾遺(抜粋)」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
長白羽神の別名は天白神であるから、つまり香香背男ではないかともされる天白神と、その香香背男を倒した筈の天羽槌雄神が一緒に、天照大神を天岩戸から出す為の準備をしているおかしな話になっている。「古語拾遺」は大同元年の成立とされるが、若干のズレはあるようだ。ただ「中臣・忌部相訴」によるものであるらしい。とにかくこの一文を読めば、香香背男も天羽槌雄神の養蚕神という事になろう。
天白信仰を長白羽神由来とするらいしが、それから白い衣類を白羽と云うのだと。大嘗祭や神今食の大祭に、天子が湯殿で禊に用いる浴衣を天の羽衣と呼ぶが、それは白羽とも呼ばれたようだ。「古語拾遺」に記されているように、長白羽神は麻続を祖とするが、それは姫命が垂仁天皇26年、飯野高丘宮に機屋を作り、天照大神の服を織らせ、そこを服織社と名付け、神麻績氏の住む麻績郷で荒衣を織らせたとする。つまり麻の衣の事をいうのだろう。旧四月と旧九月の神衣祭では内宮と荒祭宮だけに神服織殿で織った神衣を供えるという内宮と同格に祀られる荒祭宮の祭神を考えれば象徴的な神事である。
極端に言ってしまえば、香香背男は天の羽衣を織り、天羽槌雄神は倭文を織ったという事だろう。しかしそれは、やはり「古語拾遺」に記されているように、忌部氏が阿波から関東に移り住んで安房国となり、それから徐々に進出して、常陸国の静神社をも支配下に置いて、天羽槌雄神を祀ったのではなかろうか。それ以前の祭神が天手力雄神である事を考えれば、忌部氏の権威の象徴が天羽槌雄神である為に、静神社と大甕倭文神社に天羽槌雄神を祀ったのだろう。恐らく「日本書紀」での一書での天羽槌雄神の登場は、その頃に書き加えられたものではなかろうか。

ここで再び、豊受大神に戻ろう。「我国間記」によれば、常陸国を祖国とし、丹後国を経由して伊勢に祀られたとする豊受大神だが、常陸国にはその痕跡を見出せない。しかし、天女という共通項を持って繋がるのは、恐らく静神社に祀られていたであろう蛇神でもあった香香背男であり天津甕星である。金星を意味する天白神であり天白羽神が羽衣を織ったという「古語拾遺」からも、天羽槌雄神と天女は結び付かない。となれば、豊受大神という名を借りて、伊勢神宮の外宮に祀られたのは、今までのパズルのピースを組み合わせていくと、それは天津甕星でもある香香背男であり、その実態は龍蛇神でもあり、アラハバキ神でもある瀬織津比咩でしかない。
もう一つ、
近江雅和「記紀解体」によれば、伊勢神宮には太一信仰があると述べている。太一は最高の神であり、その居所は北極中枢だとされ、北極星の神霊化であるとしている。いわば北辰信仰であり、妙見信仰である。ところで妙見信仰を調べていると、星の宗教とも云われる天台宗において、北極星と北斗七星、そして金星である太白が同一視されていた。簡単に言ってしまえば、星を尊ぶ信仰の上にまとめられたのだろう。それは三光信仰・・・つまり、太陽と月を合わせて、明星(金星)とし、その星を最高とするものと、妙見をも含めてしまっての星信仰となったのではなかろうか。仏教が盛んになった聖武天皇時代も、聖武天皇は妙見信仰に心を傾けた。その星信仰を継承した桓武天皇時代となり、桓武天皇は庶民に星の信仰を禁じた。その桓武天皇の死後、平城天皇と嵯峨天皇の時代の大同年間に「古語拾遺」が成立したのは、星神を悪神とし庶民から星の信仰を消し去ろうとした意図があったのではなかろうか。それは先に記した天羽槌雄神という神を、後から「日本書紀」の一書に書き加えたのではという疑念も加味している。何故なら「子持大明神縁起」からも、荒祭宮に祀られる鈴鹿を出自とするアラハバキ姫とされる神が、いつしか鈴鹿の鬼女として、蝦夷国を舞台とする蝦夷征伐の話に、坂上田村麻呂と共に語られるのは、やはり大同年間の事であったからだ。

遠野の早池峯の麓に流れ落ちる滝は、早池峯神社の御神体でもある。その名を又一の滝とは言うが、それを紐解けば本来「太一の滝」であった事が理解できた。それは早池峯が北に聳える山であり、妙見信仰の影響を強くして語られる山とされたからだ。その早池峯を信仰した安倍一族であり、奥州藤原氏は、羽黒修験との関係も深かった。その羽黒に建立された五重塔は、平将門が建立したという伝説も生じているが、
内藤正敏「羽黒山・開山伝承の宇宙観」によれば、その五重塔内部には妙見が祀られていた。
ところで、藤原氏の勅命によって岩手県と秋田県にまたがる地域で二万程の新山寺や新山神社が建立されたというが、その新山神社の祭神は玉依姫であり羽黒権現となっているが、それは仮の神名であり、その本来の神名は、早池峯大神である瀬織津比咩であった。大迫の早池峯神社が、遠野早池峯神社に向けて建てられているのも、早池峯山そのものが北を重視した山である事からである。だから大迫の早池峯神社は、遠野早池峯神社を経由して、北に聳える早池峯を拝む事になる。
妙見神とは、大亀に乗った女神として現される。大亀は大瓶であり、大甕でもある。ここで思い出すのは、鹿島神宮の御神体が大甕であるという事。そしてそれは、龍蛇神でもある。陰陽五行での亀は玄武を意味し、北の守護にあたり、水を意味する。鹿島神宮が何故に北向きの社殿で、祭神である建御雷神が大甕が沈む東の海の方向を向いているのかという、パズルのピースを構築していくと、そこに現れる神は、伊勢神宮の荒祭宮に祀られる天照大神の荒御魂である瀬織津比咩の姿になるのである。
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