佐々木君の友人中館某君の家は、祖父の代まで遠野の殿様の一の家老で、今の御城の一番高い処に住んでいた。ある冬の夜、中館君の祖父が御本丸から帰宅すると、どこからどこまで寸分違わぬ姿をした二人の奥方が、玄関へ出迎えに立っていた。いくら見比べてもいずれが本当の奥方か見分けがつかなんったが、家来の者の機転で、そこへ大きな飼犬を連れて来ると、一人の方の奥方は狼狽して逃げ去ったそうな。
「遠野物語拾遺173」
御城のあった鍋倉山は、昔からいろいろな動物がいた。画像は、本丸の裏側に位置する行燈堀付近で撮影した狐だが、遠野は山で囲まれている為に、いろいろな動物の通り道にもなっている。そして当然、熊も出没する。今は公園になっている場所に展望台があるのだが、ある年の早朝に管理人が行ったところ、展望台から熊が出て来た為に、今では夜に鍵をかけて、翌朝まで中には入れないようにしている。
狐に騙された話は、遠野だけでなく全国に広がり、それだけ狐が人間にとって身近な存在でもあったという事だろう。鍋倉山に御城があったとしても、城から個人宅へ行くのにも、獣は蠢き、鳥などの鳴き声は響き渡っていた筈だ。恐怖心からの妄想は、際限なく涌き出た事だろう。現代となっては狐が人に化けるという事は有り得ない事と認識されているが、どこかで狐の神秘さと恐怖さを抱いている日本人の姿を垣間見てしまう。例えば、立ちションベンが多い場所に、鳥居の絵を描いただけで立ちションベンをする者がいなくなるというのは、その典型だろう。赤い鳥居を見て真っ先に思い浮かべるのは、稲荷様である。何故なら日本で一番多い神社であり、遠野の中でも、個人の庭に稲荷を祀る家が、どれだけ多いのか。
ところで、古い地図を見るとわかるように、鍋倉山の中での中館家の下には稲荷神社がある。遠野の街から中館家へ帰るとしても、意識は稲荷へ行くのではないか。常に中館家の下に位置する稲荷であるから、中館氏の中にも稲荷であり狐に対する意識が強くなり、笑い話としてこの様な話を作ったのではなかろうか。稲荷に好かれ、狐に好かれた中館家としての話を。