「日本書紀(垂仁天皇二十五年三月)」に天照大神が登場し、伊勢のイメージを言葉に表している。
「是の神風の伊勢國は、常世の浪の重浪歸する國なり。」
実は前の記事
「天の眞名井の神と火継ぎの神の関係」で、天照大神が太陽神なら、その荒魂もまた太陽神の属性を持たなければならない筈と書いた。その天照大神の荒魂は水神でもある瀬織津比咩となるのだが、それでは属性が合わないので、異称である八十禍津日神という"日神"を苦肉の策として作ったのではないかとも考えた。しかし、その前に、天照大神そのものが果たして太陽神であったのか?も考えるべきだろう。
これもやはり前の記事で書いたのだが、太陽神である天照大神の系譜は、天乃忍穂耳命、瓊々杵尊へと続くように描かれている。しかし朝廷が太陽信仰を採用したのは持統天皇時代であり、それ以前は太陽より月を重要視していた。こうして考えてみると、例えば天照大神が天岩戸に籠り、その天岩戸から天照大神を出す為に八百万の神がした事は、夜世界の神事の準備がなされていた。太刀こそ、陽者であり太陽を示すものだが、それは天岩戸の神事には用いられず、鏡と勾玉と榊が使用された。その鏡は増鏡でもあり、月の象徴となる。また、勾玉も榊も月の象徴となる事から、これは夜に籠った月を呼び出す神事であるとの認識を持つ事ができる。
遠野の西に北上市がある。北上(きたかみ)は、日高見(ひたかみ)の転訛だと云われる。また似たような国名に常陸(ひたち)国がある。瀬織津比咩の異称に撞賢木厳之御霊天疎向津媛命があるが、この神名の「天疎向」は「月が西の天の極みへと向かう」意がある。これは以前書いた
「聖なる「シノ」の光」を参考にしていただきたい。
では、月が東方から昇る意は何かというと「ヒタ」と云われる。常陸は「ヒタミチ」とされ「ヒタカの道」とされる。
「日本書紀(景行天皇二十七年二月)」に
「東の夷の中に、日高見國有り。」とある。また
「常陸国風土記」に
「この地は、本、日高見国なり」とあるのは、日高見国は、常陸国の東方を差していた。つまり常陸国とは日高見国の入り口の意でもあった。
「古今和歌集」の注釈に
「ひさかたとは、月の異名也。此月、天にあるゆへに突きにひかれて、そらをもひさかたのあめと云へり。」とあるが、「久方(ひさかた)」の「かた」は「区切られた所、県・国」を意味する。そして常陸が「ひた+ち」であり、日高見が「ひた+か」の組み合わせであるが「か」は「場所」を意味する事から「ひさかた」も「ひたか」も同じ意である事がわかる。つまり「ひさ」も「ひた」も月の意であった。
長く日高見国は、太陽が高く差し込み照らす広く平らな国とも解釈されていたが、「ひた」を月の意に変えれば、日高見の「見」は「望む」でもあるので、常世思想の中に月が東の海辺に接する理想的な地という観念が、日高見ではないかとの説がある。つまり日高とは常世であり、常世辺でもあるという事から、日高見国とは、その理想的な常世辺を望む地の意ともなる。
東方から昇る月の意の常陸国の
「我国間記」に
「我国ノ御山ハ日本開始ノ峯ニシテ、豊受産ノ神社有リ…後ニ丹州、今ハ伊勢ニ移リシ給フ。」と月神とも云われる豊受大神が伊勢に移ったとの伝承がある。熊野は裏伊勢とも云われるが、伊勢にも熊野にも常世思想が伝わっている。その常世とは海上の果てとも云われるが、その海上の果ての常世から押し寄せる波が熊野にも伊勢にも押し寄せて来る。
ウィキペディアによれば常世とは
「常世、かくりよ(隠世、幽世)とは、永久に変わらない神域。死後の世界でもあり、黄泉もそこにあるとされる。「永久」を意味し、古くは「常夜」とも表記した。」つまり常世とは、夜の世界である事から、一番先に紹介した垂仁天皇記での
「是の神風の伊勢國は、常世の浪の重浪歸する國なり。」とは月の光を浴びた波が押し寄せる意でもある。つまり太陽神であろうとされている天照大神は、伊勢に月の光を浴びた波が押し寄せる事を知り「是の國に居らむと欲ふ。」と述べたのはある意味、月の光が心地良いと感じた為ではなかろうか。天岩戸ノシーンといい、この垂仁記のシーンといい、天照大神とは月の神であり、月の光が押し寄せる伊勢に、やはり月神とも云われる豊受大神が常陸国から移り住んだ。
陰陽五行の陰陽の陽は太陽だが、月は陰である。右の「み」は「水」の意で月に属する。「記紀」では黄泉国から帰還した伊弉諾が左目を洗って天照大神が誕生するのだが
、「倭姫命世紀(天照皇太神和魂)」には、こう記されている。
「伊弉諾尊、筑紫の日向の小戸の橘の檍原に到りて、祓除まするの時、亦右目を洗ひて、月天子を生みます。亦天下り化生ますみ名は、天照皇太神の和魂也。」
右目を洗って生まれた月天子が地上に降りた名が天照大神という事だ。有り得ない話と考えるのは「記紀」が基本であると認識されている場合だが、その「記紀」でさえ、どこまで正しいのか誰もわかってはいない。しかし、伊勢神宮の神事に、大事であるべきの火継ぎ神事が無いという事から考えても、伊勢そのものが太陽よりも月を重視している事が伺える。天照大神の荒魂が水神の瀬織津比咩であるならば、天照大神もまた同じ水神の属性を持つ月神でなければ、整合性が取れないのだ。恐らく伊勢神宮の本来は、月の宮ではなかろうか。