「季の春、花鎮めの祭り謂ふ。大神・狭井の二つの祭りなり。春の花の飛散の時にありて。疫神分散して癘を行なふ。その鎮遏の為、必ずこの祭りあり。故に鎮花といふ。」
【養老律令】 日本最古の神社と云われる大神神社では毎年4月18日に花鎮祭が行われる。その起源は、崇神天皇が大田田根子に三輪山の神を祀らせたのが始まりとされ、平安時代に大そう盛んであったという。桜の花が咲く頃は田植えと重なる為か、山の神が田に降りて来て田の神となる信仰が広く伝わるが、その田の神の象徴が桜となる。
崇神記によれば、神浅茅原で倭迹迹日百襲姫命が神懸かり、大物主神を祀るようにとのお告げを得、更に天皇と三人の臣下が
「大田田根子命を、大物主神を祀る祭主とすれば、必ず天下は平らぐだろう」という夢告を得た事から、太田田根子を祭主として大物主神を祀り、疫病は鎮まったのだと。
古代日本では、風で桜の花びらが桜吹雪として舞い散る時期は、疫病が流行る時期と重なったのだと云うので、大物主神を祀った事に桜を関連させて疫病を鎮める花鎮祭が行われるようになった。それと共に、大神神社に伝わる秘伝の
「花鎮薬」が伝わっていた。
花鎮薬 大倭国城上郡大神大物主神社二所伝之方也 恵耶尾初終軽支重
紀乎以波受用井弖験安流久須利之方
鎖玖羅之半那 一戔 母々乃伽波 三分恵耶尾はエヤミであり、辞典で調べると
「疫病は日本語では《古事記》や《日本書紀》には?病,疫疾,疫気などと書かれ,エヤミ,エノヤマイ,トキノケなどと読み,鎌倉時代から江戸時代にかけては疫癘,時疫,ハヤリモノ,ハヤリヤマイなどと呼ばれていた。」と説明されている。そのエヤミに対する薬の処方は
「鎖玖羅之半那」=「桜の花」と
「母々乃伽波」=「桃樹皮」が必要だとしている。
秘伝の薬を書に記す場合、あくまでも秘伝の為に誰かに見られたとしてもわからないよう、漢字をあてているのが特徴のようだ。だから桜の花を「鎖玖羅之半那」などとしているようだ。ところで実際は、桜の花には効能が無く、それが桜の葉であれば
「温胃、健脾、止血、解毒、吐血、瘡毒」などに対する効能があるとされている。桜の葉を桜の花と書き間違った可能性もあるが、桜の木全てを”桜の花”とした可能性もあるだろう。
ところで
桜の女神として遠野の早池峯に祀られる
瀬織津比咩がいるが、これは琵琶湖の桜谷に祀られていたからでもある。この早池峯の神は風を起こす厄神としても知られていた。大神神社の花鎮祭は、桜花が散る時疾病が四方に散り流行すると考えられ、行われた祭であった。その桜の花びらを拡散するのは風の力でもある。つまりそれは、春になり田の神になった山の神が桜に依り憑いたせいでもあるのだろう。
また保水力のある桜の木は、水源を山として流れる川の水と天から降る雨を吸い取るものと思われていた。子供が生まれると同時に、庭先に桜の木を植えるのも、その子供の厄災をも吸い取るものと信じられていたのが桜であった。そう、桜は水であり穢れや厄災までも吸い取り、そしてゆっくりと川を通して海へと流し、全てを呑み込んでいた。しかし、桜の花びらだけは風で四方へと飛び散る。そういう桜の役目であったから、桜の花びらにさえ厄災が潜んでいると考えられたのは当然の事であったのだろう。蛇の毒から解毒剤が作られるように、
「毒を以て毒を制す」つまり、桜の花びらが飛び散る事によって広がる疫病は、その桜の花びらによって薬が出来ると信じ実践したのが、この「花鎮薬」ではなかったのか。
太田田根子の系図から、何故に桜と疫病が結び付けられたのかを展開するヒントがあるのだが、ここでは「花鎮薬」をさらった語るだけにして、あとは別の機会にでも書き記そうと思う。