遠野郷の民家の子女にして、異人にさらはれて行く者年々多くあり。殊に女に多しとなり。
「遠野物語31」遠野は盆地であり、四方を山々に囲まれている。その山々の山中で女の登場する話の多くは白望山となる。次に、六角牛山であり、後は石上山にキャシャと関連して不気味な女の話とタイマグラに、風俗の違う女の話がある程度だろうか。つまり女の登場する話の殆どが、白望山から六角牛山にかけての東側の山の話である。東側の山に何があるかといえば、山蹈鞴場である。当然、マヨヒガの話もこれらに含まれようが、山中他界であり異界。里の民百姓は、魑魅魍魎、妖怪の類が出るであろう山へと滅多に登らなかった。しかし、その山中で暮らす人々がいた事は明らかとなっている。
画像は白望山から望む遠野の街だが、山から眺めれば賑っているだろう遠野の街をイメージする事は可能だ。山中で暮らすとなれば、人恋しくなるものであり、女恋しくなるものであろう。現代でも年間の行方不明者の数は、かなりの数字になる。ましてや人権という言葉が希薄であった昔に在っては、人を攫っての人身売買は、かなり横行していたようである。暗い山から、明るく賑わう遠野の里を望めば、女を攫おうとする意欲が湧き上がるのかもしれない。
例えば倭寇の歴史を調べてみても、襲った村から人を攫い人身売買が成立していたが、売られた人間の生活は保障されていたようである。その国や町、村の統治者の関係者で無ければ、売られた先で普通に生活できれば良かったようだ。現代と比較すれば、程度の低い移民と言っても良いのかもしれない。
また、日本国から渤海への美女の献上は、歴史的にも有名な事だ。その献上された美女達は、その国の主が選んだ場合もあるだろうし、それこそ人攫いによって攫われ、献上されたのだろう。
「英雄色を好む」は何も英雄だけでは無く、男全般に言える事だ。男が攫われるのは労働力としてのものだが、女が攫われるのは、男の剥き出しの欲望と言って良いだろう。
山と里は、同じ遠野でありながら別々の国と考えれば良いのかもしれない。山から里に攻め入って、戦利品として女を奪う。奪われた女は、暫くした後に山で生活する事を覚悟する。白望山の怪奇譚の中に女が現れ笑ったり、走ったりする話は、そういう山で生きる事を覚悟した女達の話であると考える。