栃内村の字琴畑は深山の沢に在り。家の数は五軒ばかり。小烏瀬川の支流の水上なり。此より栃内の民居まで二里を隔つ。琴畑の入口に塚あり。塚の上には木の座像あり。およそ人の大きさにて、以前は堂の中に在りしが、今は雨ざらし也。之をカクラサマと云ふ。村の子供之を玩物にし、引き出して川へ投げ入れ又路上を引きずりなどする故に、今は鼻も口も見えぬやうになれり。或は子供を叱り戒めて之を制止する者あれば、却りて祟を受け病むことありと云へり。
「遠野物語72」
画像は、そのカクラサマのあった琴畑の塚であり、祀ってあった社も残骸だけとなってしまった。カクラサマの詳細は、次の「遠野物語73」で書く事にするが、ここでは叱った大人の方が祟られる話をしよう。
これと似た様な話が
「遠野物語拾遺51~55」で紹介されているが、
「遠野物語72」と同じ話が
「遠野物語拾遺55」となる。
【手負蛇】
東武の東在所の「さかたい」という村で稲荷の宮を建てた時の事である。地を掘っていたところ、長さ一尺ばかりの蛇を彫り出した。子供がたくさん集まって、この蛇を捕え石の上で小刀にて二三寸ずつに切り、竹の串に刺してもてあそんだ。村長がこの所を通りかかり、この様子を見て大いに恐れたが、その夜、一丈ばかりの蛇が村長の寝間に入り来て枕元で息をついていた。村長は大いに驚き、人を呼んで追い出させたが、他の者の目には蛇の姿が見えなかった。それ以来、村長は病となり久しく患ったが、医療を受けた後にやがて癒えた。しかし、子供らの家には蛇の祟りは少しも無かった。これは、村長が恐ろしいと感じたため、それに応じて蛇の念が来たのである。求めなければ鬼神といえども来ることはないのである。
こうして「手負蛇」の話を読むと、仏像が叱った大人の方を祟る話と同じである事がわかる。子供は仏像を単なる玩具として見ていたが、大人にとっては、仏罰、神罰、祟りという事が頭に過ったのだろう。「病は気から」と言うように、祟りを意識した大人が無意識に祟りを自らに呼び込んで病となったという事だろう。
B級SFホラー映画「恐怖の惑星」に、こういうセリフがあった。
「恐怖は、勇気の無い者の心の中に忍び込む。」
まったく仏像も蛇も玩具だとしか思わない子供は、そういうモノを跳ね返したのだが、祟りを意識して恐怖してしまった大人が、自然とそういうものを、自らの意識に取り込んだ為の話であったのだろう。ある意味、変に知識や見識が増えると、こういう事に陥り易いという例え話でもあろうか。