同じ人の話に、家に奉公せし山口の長蔵なる者、今も七十余の老翁にて生存す。曾て夜遊びに出でゝ遅くかへり来たりしに、主人の家の門は大槌往環に向ひて立てるが、この門の前にて浜の方より来る人に逢へり。雪合羽を著たり。近づきて立ちとまる故、長蔵も怪しみて之を見たるに、往還を隔てゝ向側なる畠地の方へすつと反れて行きたり。かしこには垣根ありし筈なるにと思ひて、よく見れば垣根は正しくあり。急に恐ろしくなりて家の内に飛び込み、主人にこの事を語りしが、後になりて聞けば、此と同じ時刻に新張村の何某と云ふ者、浜よりの帰り途に馬より落ちて死したりとのことなり。
「遠野物語78」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
田尻家での幽霊騒動は、かなりあったという。ここで登場しているのは雪合羽を来た人物が、幽霊ではないかとされている。合羽や蓑笠の格好、または深編笠を被った虚無僧の格好などは、その人也の顔が見えない為に不気味に感じるものだ。罪人や隠密行動をとる者にとっての格好のアイテムが蓑笠であり、深編笠を被る虚無僧の姿である。
小松和彦「異人論」の中に
「マレビトと蓑笠」の項があり、そこで蓑笠=祖霊という考えが語られている。確かに、秋田のナマハゲなども、蓑を身に纏った年に一度だけ訪れるマレビトである。ただナマハゲは霊というよりも、リアルな物の怪としてのイメージが強いだろう。笠こそ被ってはいないが、代わりに鬼面を被り、やはり顔を隠している。年に一度訪れるマレビトは御歳神とも捉え、蓑笠の衣装は「山に生きた人々の日常の姿」とされ、山神との結び付きがあるとの考えを示している。
吉野裕子「蛇」でも御歳神に触れており、
出雲の正月の歌を紹介している。
正月さん、正月さん、どこからお出でだ。三瓶の山から。
蓑笠着て、笠かべって、ことことお出でだ。その他にもいろいろな事例を出し、その共通点を下記の三点としている。
1.一本足である。
2.海、または山から来る。
3.蓑笠を付けている。奇しくも、蛇を祀るとされている綾織から小友へ抜ける小友峠に鎮座する
二郷神社の社殿には、笠こそ無いものの蓑が飾られている。社殿内部が竜蛇に関連するもので溢れているのが二郷神社であった。吉野裕子は御歳神は蛇であると考えているが、確かに出雲での来訪神は海蛇とされている。まあ、この「遠野物語78」での雪合羽を着た者が蛇であるとするわけではないが、姿を隠す合羽でありマレビトの衣装である蓑笠に対して、定住民は、どこかで恐怖の意識を抱いていたのではないかと考えている。
最後に新張村の者が浜よりの帰り道に馬から落ちて死んだと結んでいるのは、山で死んだ者が雪合羽を着て現れたと感じている事に注目したい。馬から落ちてとあるが、落馬なのか、それとも馬共々崖下に落ちたのかはわからない。
例えば
「佐野円次郎家文書」には、小川新道で1824年(文政七年)八月十三日に大雨洪水があり、遠野馬八疋死と記録にある。これは大雨による道の崩壊事故によるものだったらしい。また、笛吹峠では広い道は馬で行き、細い道は牛で行ったと伝えられるが、現在の車が通れる広い道ではなく、昔は足を踏み外せば崖下に転落するような狭い峠が多かったようである。
人は死ぬと、魂は山へと昇るとされる山岳信仰は、遠野でも根付いていた。山で死んだ者は、そのまま山神に魂を委ねるのだが、その魂が具現化し、来訪神として里に降りて来る場合は、それは生身の人間では無くなっている。有る場合は蛇であり、ある場合はナマハゲのような恐ろしい鬼となっている場合もあったのだろう。誰でも着る筈の合羽であり蓑笠ではあるが、果たしてそれを身に付けた存在が生身の者では無いと知った時の恐ろしさが、この「遠野物語78」で語られているのだと思うのだ。