土渕村の柏崎にては両親とも正しく日本人にして白子二人ある家あり。髪も肌も眼も西洋人の通りなり。今は二十六七位なるべし。家にて農業を営む。語音も土地の人とは同じからず、声細くして鋭し。
「遠野物語85」
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自分が子供の頃にも、白子であろう人物はいた。名前も知らぬが、たまにみかける程度だった。確かに色素が薄いという印象だけで、顔は日本人であった。ただ、まつ毛なども白かったので、当初は違和感を覚えていた。
この「遠野物語85」を読むと、悪意を感じる先入観の記述であるように思える。例えば
「正しく日本人にして白子二人ある家あり。」とあるのは、両親は二人とも日本人だが、何故に外国人みたいな子供が生まれたのか?という疑念を込めている。白子がいる家を紹介するだけなら
「両親とも正しく日本人にして」の紹介は、要らない筈だ。つまり白子という異常を紹介しているのではなく、母親が外国人と密通したと云わんばかりだ。決定付けるのが、その後の記述
「語音も土地の人とは同じからず、声細くして鋭し。」だ。つまり、白子という遺伝子疾患ではなく、密かに外国人の子供を産んだのでは?という疑念からの文章であろうと感じてしまう。
色が白いという事は、農作業をしている女性には有り得ない話だ。常に紫外線を浴びながらの作業は、顔はいつも日焼け顔で、白くなる事はまずなく、白く見せる場合は白粉で誤魔化す程度になる。であるから、顔が白い女性というのは、余程の家の奥方か姫様か、雪女という民衆にとっての特異な存在となる。つまり、この当時の基準は、男も女も色が日に焼けて黒いであるから、お姫様、雪女、白子、外国人は全て異人であるといっても過言ではないだろう。
ところで
「注釈遠野物語」によれば、恐らく遠野の民衆が外国人の姿を見たのはオランダ船ブレスケン号の乗組員ではないかと記している。1643年(寛永20年)に、岩手県の山田町にオランダ船ブレスケン号が燃料と食料を求めて寄港した。しかし南部藩は、上陸した船長など10名を捕えて、大槌、遠野で泊った後に、盛岡へと送ったとある。南部藩は幕府の命を受けて、尾崎半島に外国船の監視所を置いたようである。しかしそれでも多くの、外国船を監視する事は不可能であったと思える。
天狗や山男が実は外国人では?という想像は、実際に嵐で難破した外国船が海岸線に流れ着き、しばらく滞在した後、村の娘などと交わったとの伝承は、全くの作り話とも思えぬ。それは、岩手県の久慈出身の母方の家系にも伝わっている。自分の母親の肌の白さは、外国人のそれに近いとも云われる。またその妹は、その風貌から、子供の頃からずっと
「あいのこ」と揶揄され続けてきたという。言い伝えでは、難破して久慈沿岸に漂着したロシア人との血が入ったという事である。
昔は白い動物は神の使いとも云われるが、身近な人間の白い者は神では無く、どこか異人か魔物のように扱われたのかもしれない。せいぜい皇族である白髪大倭根子命という名の清寧天皇が白子であったようだ。ただ神の血筋である皇族である為に、天皇として祭り上げられた。これが庶民であったならば、ただはじかれただけであったろう。