一昨年の遠野新聞にも此記事を載せたり。上郷村の熊と云ふ男、友人と共に雪の日に六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたれば、手分して其跡を覔め、自分は峯の方を行きしに、とある岩の陰より大なる熊此方を見る。矢頃あまりに近かりしかば、銃をすてゝ熊に抱へ付き雪の上を転びて、谷へ下る。連の男之を救はんと思へども力及ばず。やがて谷川に落入りて、人の熊下になり水に沈みたりしかば、その隙に獣の熊を打執りぬ。水にも溺れず、爪の傷は数ヶ所受けたれども命に障ることはなかりき。
「遠野物語43」上郷村仙人峠は今は篠切りの季節にて山奥深く分け入りしに淡雪に熊の足跡あるを見出し仝村細越佐藤末松を先頭に七八人の猟夫等沓掛山をまきしに子連れの大熊を狩出したれば狙ひ違はず二発まで見舞たれども斃るゝ気配のあらざれば畑屋の松次郎は面倒臭しと猟銃打ち捨て無手と打組みしも手追ひの猛熊処きらはず鋭爪以て引掻きしも松次郎更にひるまず上になり下になり暫が間は格闘せしも松次郎が上になれば子が噛み付くより流石の松次郎も多勢に無勢一時は危く見えしも勇を鼓して戦ひしに熊も及ばずと思ひけん松次郎打ち捨てゝ逃げんと一二間離れし処を他の猟夫の一発に斃れしも松次郎の負傷は目も当てられぬ有様にて腰より上は一寸の間きもなく衣類は恰もワカメの如く引き裂かれ面部に噛み付かんと牙ムキ出せばコブシを口に突き込みし為め手の如きは見る影もなき有様にて今尚ほ治療中なりと聞くも恐ろしき噺にて武勇伝にでも有り相な事也。
「遠野新聞(熊と格闘)」明治39年11月20日「注釈遠野物語」に、「遠野物語43」の元記事である
「遠野新聞」に掲載された記事が紹介されていた。「遠野新聞」は明治39年に発刊された地方新聞で、一部は壱銭五厘、六か月契約で八銭、壱ヶ年契約で参拾参銭という料金で、その当時の米壱俵が四拾銭であった事から、1年契約で米一俵分より、若干安かった料金であった。
まず、「遠野物語43」の話は、剛の者が熊と対等に戦ったような話になっているが、実際は戦った男は、かなりの痛手を負ったという事がわかる。また場所も、六角牛山では無く、仙人峠となっているのも、これを伝えた佐々木喜善の問題となろう。ところで仙人峠といえば、平成になるかならないかの頃
「牛みたいな大きな熊」が出たとされ、一時期、釣り人が恐れて近寄らなくなった事があったが、真相は定かでは無い。また近年土渕の琴畑にも、かなり大きな熊が出没したが、無事に撃ち取られたという話を聞いた。
たまに聞く
「大~」というものだが、例えば大蛇などという話を昔話としてかなり聞くが、現代人にとっての大蛇とは、アナコンダとかニシキヘビなどの、日本には生息しない大蛇のイメージが真っ先に浮かぶ。ところが日本での大蛇とはアオダイショウが一番大きく2mくらいになり、太さもかなりのものになる。普段、シマヘビやマムシを見ている中で、急にアオダイショウを見れば
「大蛇だ!!!」となるのではなかろうか。恐らく、当時と現代では
"大蛇の概念"が違うものと考えてしまう。熊もまた、座っていればあまり大きくは感じないものの、眼の前で立ち上がり威嚇した場合、それを目の前にした人間は恐怖の余り
「大熊だ!!!」となるのではなかろうか。
とにかく熊は立っても、せいぜい150㎝程度の身長となるが、体重は100キロを超え、筋力もまた人間の筋力を超越する存在であって、人間が勝てる相手ではない。ただ、たまに秋田県で熊と戦って勝ったという新聞記事を目にする事がある。秋田県での、熊に勝った方法とは、相手の力を利用した柔道の巴投げや、レスリングの似たような相手の力を利用する技によって、熊の気持ちを殺いで勝ったとしていた。熊とまともに戦ったら、やはり勝てる相手では無いのだ。