これは宮古の在の話であるが、山の中に五軒ほどある部落に婚礼のある晩、大屋の旦那が宮古へ行って、まだ帰って来ぬ為に式を挙げることが出来ず、迎えに迎えを出して夜の更ける迄待ちあぐんでいたところ、不意に家に飼っている二疋の犬が吠え立てたと思うと、戸を蹴破る様にしてその大屋の旦那様が入って来た。すぐと膳部を配り盃を廻し始めると、旦那はまるで何かの様に大急ぎで御馳走を乱し食うて、おれはこうしちゃいられない。明日はまた宮古に山林の取引があるから、これから行くと言って立ちかけた。まだ式も済まぬ前といい、いかにも先刻からの様子が変だと思っていた人々は、互いに目くばせをしてそんだらばと、表へ送り出すや否や犬をけしかけた。すると旦那は驚いて床下に逃げ込む。それやというので若者たちは床板をへがし、近所の犬も連れて来てせがすと、とうとう犬どもに咬み殺されて引きずり出された。見れば大きな狸であった。その騒ぎのうちに本物の旦那様も還って来て、めでたく婚礼は済んだという。今から二十年程前の話である。
「遠野物語拾遺186」
「遠野物語拾遺」では「曹源寺の貉」の話と並んで記されているもので、遠野では狐の話は多いのだが、狸の話は珍しい。近代まで
「ムジナかタヌキか、タヌキかムジナ」という言葉が広まっていたように、貉=穴熊と狸は混同されていた。有名な大正14年の
狸裁判は、栃木県に於いて狩猟法として狸を獲るべからずとして方が定められた中、穴熊を二匹獲った猟師が訴えられ裁判となった。大正時代ではあるものの、まだ明確に狸と穴熊は分れていなかった。遠野では狸の話が少ないのだが、
菊池悟「いわて兎の昔語り」では、全国で有名な「カチカチ山」の話が、若干の変化しながら、いくつか紹介されている。それが、兎がやっつける相手が、狸だったりムジナ(穴熊)だったりするのは、やはり狸と穴熊の混同があったせいだろう。恐らく「遠野物語拾遺186」が穴熊であり、「遠野物語拾遺187」の曹源寺の貉堂が狸堂であったとしても違和感が無いのではなかろうか。
「日本書紀」推古天皇記三十五年春二月に
「貉」と記されているのが一番古い記述であるらしいが、それが狸であったのか穴熊であったのかは定かでは無いが、狸という字を「タヌキ」と読むようになったのは鎌倉時代以降のようで、それまでは狸であっても穴熊であっても貉と記していたようだ。
ところで陰獣とも云われる狐が化けるのは、殆どが女であり、狸が化けるのは男となっているようだ。確かに狐よりも線の太く感じる体型は、人間に化けたら恰幅の良い男性として認識できそうだ。ましてや狸の八畳敷きと云われるように巨大なモノが付いている狸は、この「遠野物語拾遺186」に登場するような旦那様に化けるのがお似合いであるようだ。しかし、
日野巌「動物妖怪譚」の狸の項を読むと、ごく僅かだが女性に化けた信州での狸の話が紹介されてあった。
この「動物妖怪譚」を読むと、古来から東北には狸が居なくて貉は居る事になっている。逆に、関西から九州にかけては、狸は居るが貉は居ないとなっている。よく、狸の化ける話は四国に多いとあるが、実はそれが東北では貉にすり替わっていたという事だろう。それ故に「遠野物語拾遺186」では旦那様に化けていたのが「大きな狸」であったという記述も、大正時代に狸裁判があった事から、まだ狸と穴熊との認識が曖昧な時代である事から違和感を覚えた。だが
佐々木喜善「聴耳草紙」の
「狸の旦那」の話が、これと同じ話であり、最後に
「大正十年十一月二十日に宮古在の人から聴いた話である。」と記されている事から、確かに狸と穴熊が分別されつつあった時代ではあるので、宮古地方では、どうにか狸であると認識されていたのだろう。
タヌキ汁を食べた事が無いが、知人の古老曰く
「冬のタヌキはうめぇぞ!」という。確かに、冬場に遭遇するタヌキは冬を乗り切る為に丸々と太って、美味しそうに思える。縄文時代の人達が食べてきた動物の中で、猪が30%、鹿が30%で、残りの40%が他の動物であったらしい。3番目に来るのは兎か?とも思っていたが、実は狸であった。なるほど、人間が捕まえるには、その素早さから見ても、兎よりも狸の方が楽であったのが、その理由であるようだ。「遠野物語拾遺186」の最後には本物の旦那様が登場し、無事に婚礼が済んだとあるが、そのお祝いの席にタヌキ汁を出したというオチがあっても良かったのだろう。
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