同じ人六角牛に入りて白き鹿に逢へり。白鹿は神なりと云ふあれば、若し傷けて殺すこと能はずは、必ず祟りあるべしと思案せしが、名誉の猟人なれば世間の嘲りをいとひ、思ひ切りて之を撃つに、手応えはあれども鹿少しも動かず。此時もいたく胸騒ぎして、平生魔除けとして危急の時の為に用意したる黄金の丸を取出し、これに蓬を巻き附けて打ち放したれど、鹿は猶動かず。あまり怪しければ近よりて見るに、よく鹿の形に似たる白き石なりき。数十年の間山中に暮せる者が、石と鹿とを見誤るべくも非ず、全く魔障の仕業なりけりと、此時ばかりは猟を止めばやと思ひたりきと云ふ。
「遠野物語61」

知人のところに鹿による、農作物の被害調査が来たという。歴史的にも鹿が多い土地であったが、原発のセシウム問題から、遠野周辺の牧場である牧草地では牛の放牧が止められた代わりに、草原を好む鹿が多量に増え続けている。ましてや鹿を撃っても、その肉を市場へと流す事も出来ず、猟師そのものの数が激減しているのが大きい。猟銃の維持費がかかる事から、東北と云う低所得地域で、どれだけの者が猟師になろうというのか?ましてや昨今の猟銃事件により、狩猟免許の拾得自体が更に厳しくなっている。鹿の天敵は、かっては狼であった。その狼は明治の半ばで滅び、その代りに猟師が天敵となってはいたが、この時代となって猟師自体が絶滅危惧種になっている。
この「遠野物語61」の話も、捉えようでは年老いた猟師が、石と鹿を見誤ったようにも思える。視力が衰えた猟師は、現代においても引退している事から、この物語の嘉兵衛もまた、この事をきっかけに引退した様であった。
「人と動物の考古学」を読むと、縄文時代の食料としての肉は、猪と鹿が全体の約60%を占めていたようだ。残りはタヌキとウサギが占めるのだが、ウサギよりも若干タヌキの方が上回っているという。タヌキはまだ食べた事は無いが、子供の頃に見た漫画ではタヌキ汁は、何となく美味しそうに思えていた。昔、現在の鍋倉山の入り口付近、まだ消防署がその側にあった頃、遠野の野鳥や野生の獣を飼っている場所があり、そこにタヌキがいた。近付くと、とても臭く、調べても雑食のタヌキは食べても美味しくないと聞いていたが、ある猟師に言わせると
「冬のタヌキは美味いぞぉ!」と言う。
ところで鹿だが、鹿は神の使いというのは春日信仰から来ている。現代においても奈良公園に生息している鹿は神の使いであると伝えられており、昔であれば、その神聖な鹿を過って殺しても石子詰の刑に処せられたという。「遠野物語61」に登場する鹿は白鹿だが、白い獣は鹿だけでなく全てが神の使いと云われる事から、白い鹿は神の使いの中でも更に神聖なものであったのだろうか。
徳川綱吉「生類憐みの令」は、あまりにも有名だが、それ以前にも似た様な令が発布されていた。
「続日本紀」天平宝字二年(758年)七月四日に、光明皇太后の病気平癒を願って、年末まで殺生を禁じ、永く猪や鹿の類の進御をやめる勅令がくだされている。その後の承和八年(841年)三月一日には春日大神の神山内での狩猟と伐採が禁じられている。つまり、神の使いである鹿は、人間が殺してはならぬとなり、その鹿の命を奪って良いのは、同じ神の使いである狼に委ねられたという事なのだろう。
小友町の堂場稲荷社脇には、鹿の足跡が付いたような奇妙な鹿除けの石があり、その足跡らしきを墨で紙に象れば鹿除けになると昔の百姓は、それを信じていたらしい。つまり、鹿を殺すのではなく、鹿除けの呪いに頼っていた文化が遠野にもあった。その鹿を撃つのは、やはり猟師だけであったからだ。
藤原頼長「台記」久安四年(1148年)九月二十五日の条に、夢に鹿を見たのは吉祥であり、春日明神の加護であるとしている。その時代、春日信仰は夢見をことのほか霊験として珍重していたよう。鹿の背に榊を立てた有名な図の
「春日鹿曼陀羅」も夢見によった得たものからの図であるようだ。
「遠野物語61」が現実の出来事であったのか、それとも作り話であるのはわからない。ここに登場する嘉兵衛は
「遠野物語3」でトヨという若い女を撃っているが、読んでいるとそれが夢か現かわからない状態で話を綴っている。この「遠野物語61」でも、どこか白日夢的な話になっている。
白昼夢は、目覚めている状態で見る現実味を帯びた非現実的な体験や、現実から離れて何かを考えている状態を表す言葉であり、願望を空想する例が多い事から、これを「遠野物語61」に当て嵌めて見れば、嘉兵衛がそろそろ猟師を引退しようとしての想いが見せた白日夢であったか、もしかして、多くの神の使いである鹿を撃ち殺してきた嘉兵衛を神である白鹿が、もうそろそろ引退しなさいと勧める為に見せた白日夢であったのか。すでに名誉の猟師であった嘉兵衛であるから、その名誉を抱いて幸せに余生を過ごせという白鹿の見せた吉祥夢が、その正体であったのかもしれない。
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