大萩にある日月堂。
「附馬牛村誌」によれば
「日天、月天を祀る。由緒その他不明。」とある。そして、そこには稲荷社が傍にあった。
祠の内部には千手観音が祀られていた。同じ大萩の権現堂は、かって千手観音堂と呼ばれていた事から、もしかして後に分離されて祀られたものではなかろうか。もしくは、権現堂の名の通り、権現様を中心に祀る為、千手観音が後からこの日月堂に移転させられたのかもしれない。ただ、日天、月天は観音の脇侍にもなるので、本来は千手観音が本尊であり、社の名称である日月堂とは、その脇侍を意味したものであろうか。