遠野三山神社の紹介と重複してしまうが、取り敢えず瀬織津比咩の祭祀にも紹介しておこう。
「附馬牛村誌」によれば、この神遺神社は小出にあり、元は神遺権現堂と云い慈覚大師の開基と伝えられる、早池峯二十末社の首座であると記されている。実はこの早池峯二十末社というのを全て確認していないが、この神遺神社が首座という事であれば、この時に三山神話が作られたのだと想像する。
現在のこの神社の建物は明治42年の改築によるものらしく、神殿は一間四方、内に三柱の女神の像を石に彫りつけ安置してある。これと似た様な石のプレートのものが薬師堂にもある事から、同じ時期に作られたのだろう。
入り口には「早池峯御新山」と刻まれた万延二年(1861年)銘の石碑が立っている。
また社殿の背後には、「神遺権現」と刻まれ「早池峯二十末社上首」とある事から、ここが早池峯末社の首座であると示しているのがわかる。
そして、その神遺権現の石碑の隣には、蓮華の台座だけが残っている。この上には誰が載っていたのだろうか?恐らく早池峯大神であったろうか。何故なら、ここから三山に三女神が別れたとされるのだが、この神遺神社には早池峯の名はあるが、石上山と六角牛山の名がどこにも無い。つまり元々早池峯だけを祀る神社が神遺神社で、後に三女神伝説を加えた為に、それが今の世に伝わっる伝承となるのかもしれない。
実は、この先の小出の集落に婆石があり、そこから先へは女性は行く事が出来なかったと伝えられている。つまり、本来は早池峯神社へと行けなかった女たちの為の拝殿として、この神遺神社はあったのではなかろうか?