土渕村の中央にて役場小学校などの在る所を本宿と云ふ。此所に豆腐屋を業とする政と云ふ者、今三十六七なるべし。此人の父大病にて死なんとする頃、此村と小烏瀬川を隔てたる字下栃内に普請ありて、地固めの堂突を為す所へ、夕方に政の父独来りて人々に挨拶し、おれも堂突を為すべしとて暫時仲間に入りて仕事を為し、稍暗くなりて皆と共に帰りたり。あとにて人々あの人は大病の筈なるにと少し不思議に思ひしが、後に聞けば其日亡くなりたりとのことなり。人々悔みに行き今日のことを語りしが、其時刻は恰も病人が息を引き取らんとする頃なりき。
「遠野物語86」
遠野だけでは無いが、遠野の寺院には供養絵額と呼ばれるものが飾られている割合が多い。菩提寺に、死後の冥福を祈ってのもののようだ。例えば、山形のムサカリ絵馬の様に死後に独身の死者同士のお見合いによって生前果たせなかった婚姻を果たし、冥福を祈るというものに近く、果たせなかった夢を絵にしたものであろう。
写真がまだ普及していなかった時代は、絵師によって似顔絵や供養絵が描かれていたようだ。ただリアルに現実を写す写真と違い、供養絵は死者の夢をも描くもの。「遠野物語」にはオマクも含め、こういう死者、もしくは今にも死ぬ間際になって、その人の想いが霊となって出てくる話が多い。想いは、生前にやり残した「悔い」の場合でもあり「夢」の場合でもある。この「遠野物語86」における「地固めの堂突」とは「注釈遠野物語」ではドヅキ・ドンヅキといい、建物の土台石を置く為に土を突いて平らにする作業であると。つまり、その前に普請と記している事から、地域の共同体の一員として成さねばならぬ事を出来ぬ悔みから、政の父は現れたのだろう。つまり成仏するにあたって、生前の悔いを残さぬように現れたのだろうと解釈できる。そしてこの話もまた、一つの供養絵額にも成り得る物語でもある。
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-20690482"
hx-vals='{"url":"https:\/\/dostoev.exblog.jp\/20690482\/","__csrf_value":"1270b0d1264db49cea80ba5c8283422fcd37a54e4d8fff4811a0f099bc95a5ee0e937c9525815077ce6cc453f3e5b8f6e078254fb107827422d1fe36bb332985"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">