本社の創建は元和三丁巳歳(1617)三月。別当内野三蔵院、気仙郡高田村(現陸前高田市)に鎮座せる氷上神社の御分霊を小梁川右膳地行の御除地たる烏帽子山頂に勧請せしに始まる。
大神の神威顕然礼無くして乗馬通行するもの必ず累を受けしという。「馬転」の地名今に存す。よって郷人これを恐れ社殿を麓の「田ノ上」に遷宮す。その後三回野火のため焼失するが地頭小梁川氏に殊に崇敬し、社領として田一反六畝歩、畑一反歩を元禄二年(1690)に寄付し、宝暦三年(1753)社殿改築、地頭小梁川定永。更に文政十一年(1828)小梁川盛康代に現今の鎮座地なる山腹に遷宮再建をなし、一に正観音と唱え、本殿内に慈覚大師作と伝えられる鏡像の外、雄竜・雌竜と称する二個の霊石ありて、祈雨祭に雌竜を、祈晴祭には雄竜を清水に降して神事を行ない、これら三十三年毎に開帳するが、雄竜を天保十三年(1833)失うことになる。
明治四年(1872)七月、氷上神社と改称し、同三十二年(1899)一月、指令により無格社となる。現社殿は文政十一年(1828)に再建したものである。
この氷上神社の鳥居を潜ると、ガラッと空気が変わるのがわかった。氷上神社は、日の神という地名の山に鎮座する神社となる。正観音は聖観音でもあり、どうも羽黒修験との関係があるという。ちなみに羽黒にも聖観音を祀っている。
そしてこの氷上神社の入り口には、山神の石碑と共に、早池峯と刻まれた石碑が二つ並んでいた。
また本殿脇には大年神の石碑があり、どうやら山に鎮座する山神が大年神を迎え入れる為に置いたようだ。
内部は鍵がかかっていて見れなかったが、カメラのレンズを穴に差し込んで盗撮(^^;